宮崎 その6
宮崎から戻って一週間。
本来なら飛行場に居るはずも無いオイラ・・・
8月31日の日曜日の昼過ぎ電話が鳴った。
夏の間がんばった婆ちゃんが逝った
一週間前に宮崎から帰ったばかりだったので正直、葬儀に出席しようか迷った。
でもお袋の兄が
「孫が一人も来なかったら寂しいなぁ」
と電話口で言ったので幼少の頃育ててもらったオイラはやっぱり行かなくちゃと
思ったのでした。
が、飛行場に到着してみると・・・
搭乗手続きの場でオイラの姉はいるし、親戚、従兄弟も勢ぞろい。
先週にも勢ぞろいしたんだけどみな婆ちゃんを送りたいらしい。
当たり前か
宮崎に無事到着して2台のレンタカーに分乗して婆ちゃんの家に向かった。
姉の運転する車は折角の宮崎を無にするかのように山側に行ってしまったが
オイラ達は日南海岸沿いを走った。
堀切峠 では道の駅フェニックスに立ち寄りマンゴーアイスをまた食べた。
やっぱり美味しい。
で、お昼は姉と連絡を取り油津にあるびびんやで昼食をとる事にした。
カツオ飯
だし汁を掛けて頂くカツオのお茶漬け?
名古屋流ではウナギで同じ食し方するひつまぶしってのがあるけど
どちらも旨い。
親戚の兄ちゃんとしばし油港を散歩。
先週とは違い9月の風が吹いていた。
婆ちゃんの家に近づく。
先週見舞いに訪れた病院の前を通る頃にはあちらこちらに
お袋家の名前で葬式の案内が出てくると次第に込上げる物があった。
遺影を見ると更に込上げる。
お袋が
「皆さん今までお母さんを面倒見てくれてありがとうございました。」
と挨拶する頃には涙をこらえるのに必死だった。
オイラも婆ちゃんの顔を見るが更に涙をこらえる。
しかし、しばらくするとそれも落ち着き婆ちゃんの最期を聞いた。
どうやら、オイラの母親以外の3人の兄弟の前で息を引き取ったらしい。
オイラの母親は現役で仕事をしていて先週までしばらく休みを取って
婆ちゃんの面倒を見ていた。
が、一度名古屋に帰らないといけなくなり帰宅。
一度帰宅するとそう簡単に戻る訳にもいかずお袋なりに先週、今生の別れをしていたに
違いない。
服を喪服に着替え婆ちゃんの棺を担ぎ家から葬式場に送り出した。
通夜が始まるまで時間があるのでまた着替えた。
ここはオイラが子供の頃
宮崎でひと夏を過ごした時に
ウナギを釣っていた場所。
子供の頃の記憶なので可笑しな感じだがここに一人できて投げ竿で
ミミズの餌を付けて投げ込み、しゃがんで傘を差して雨をしのいで
ウナギが掛かるのを待った記憶があるのだが・・・
それから遠い親戚がマンゴーを作っているとは知っていたので見に行く事に。
場所は山の中腹にあり冬は日が当たりそうな場所で
夏には涼しげな所にハウスで建っている。
この木の大きさで4年目らしい。
この大きさでも何十個かなるがやはり大きくなればそれだけ数がなるとの事。
普段は鍵が掛けてあり厳重管理で犬もうろうろとしている。
収穫時期が終わった後だけにマンゴーのそれとは誰も気が付かないと思うけど。
今、一番の古木で15年位らしいけどいまだに実がなるらしい。
親戚の人も歴史が無いので何時まで収穫できるのか解からないと言っていた。
ちなみに宮崎の太陽のたまごと呼ばれる物は20個に一個程度しか収穫できないと
言っていたし、冬には燃料を焚かないとだめらしいので今年の原油高ですでに
去年より100万円余分に使っているとの事。
帰りには牛。
昔は豚を飼育していたが今は牛。
日本の黒毛和牛の種を作っている。
なんと食べているのはサトウキビの仲間の草。
見た目に硬そうだけど牛には関係ない模様。
ある程度育てられた牛は全国の和牛飼育者に落札され売られていく。
この時からすでに飼育番号が決められている。
物によっては100万円を軽く超える物も出るらしいが100万円を割ると赤字らしい。
ちなみに良い牛は三重の松坂牛の飼育者に引き取られた事も何度かあると言っていた。
親戚一同で会食。
まぁ、大往生だからね。
夜中にトイレに起きて婆ちゃんを見てみたが
やっぱりもう起きない。
一緒に日の出を見に行った。
思ったより元気そうで安心した。
とても良いものでした。
葬式を良いものとは言えないのだろうが
少なくとも婆ちゃんにとっては喜ばしい葬式だったとオイラは感じた。
40年前、オイラが生まれた時にはその人はいた。
幼少の頃には家業で忙しい親の代りに宮崎から名古屋まで飛行機で来てくれ
オイラと姉の子守をしてくれたものでした。
おいら達が成長すると共にその行き来こそ無くなっていきましたが
婆ちゃんは元気そのもので95才を迎えていました。
結局は今年、大腿骨の骨折が原因で寝たきりの様になり肺炎になり人生に
終わりを告げたのです。
もともと、3人の娘と一人息子の4人兄弟の長女で旦那さんは元相撲取りで
相撲廃業後は材木商として財を成した。
弟を戦争で亡くし跡取りを妹にして遺族年金その他を妹に託し養子を入れ
家を継がせた。
一番下の妹は20歳の時に行方不明になり、その後、相撲取りの旦那を40手前で
亡くし、以後、一人で4人の子供を育て上げた。
その一人がオイラのおかん。
妹は北朝鮮に拉致されたのか北朝鮮の人と駆け落ちしただとか、風の噂で
北朝鮮で見かけた人の話により、そう考えられていたが真相は未だ解からず。
婆ちゃんも死ぬ間際にその妹の名を何度か出して呼んだらしい。
戸籍上存在はするものの生存の有無は解からない。
なので今回の婆ちゃんの死で戸籍上死亡の形をとるそうな。
世間は何も変わらない。
オイラは何か変わったのだろうか?
長い間、離れていたせいなのか未だに生きている感が体からも頭からも
離れないせいなのか心の中で生き続けるというのはこんな事を言うのか
解からないが今でもオイラの頭の中では九州弁の
「まこつしんきなぁ」
の一言が響きわたっている。
子供の頃、遊んで貰った事は忘れれないよ・・・・ありがと



























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