09/20/2007

自転車旅行2日目

1995年オーストラリア旅行TOP

9月8日金曜日 曇り

今日は、バララットからアララット93km。

昨日よりは少ないけど筋肉痛になり途中で雨も降ったし明日は雨の予定で

一日お休みなり。

二日間走ったが、なんにもない、本当に何にもない。

アララットに付いた時、眠くて死にそうだった。

ま、明日は休みにして疲れをとって出直しだ。

ちなみに明後日はSTAWELLを通ってHORSYAMまでの96kmの予定。

また、死にそうになるぞ。

モーテル 1day 20㌦                        距離 96km

                                総走行距離 207km

S1987134 これがモーテルのベットのオイラ。

今はまだ寒い時期なのでか解りませんが

電気毛布が入っていました。

S1987136 これが街の写真。

基本的に日曜日は何処のお店も休みが多いのが特徴です。

アンザックなどの戦争記念日なんかゴーストタウンになっちゃうし

気を付けていないと食い物が無くなります。

Photo  

 

 

これが二日間で走った所をグーグルで見たもの。

この時の気持ちも覚えている

二日間走り終えて相当に体にがたが出てなんとか休みをとりたい

理屈を考えていて雨だったので2日休んだんです。

ベットの脇にも写っていますがキューピーのマヨネーズを買って

相当な量のセロリとキャベツを食べた思い出があります。

二日間もアッというまに過ぎてしまい結局また自転車をこぎ始めるのですが・・・

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09/07/2007

スキー場がオープン

1995年オーストラリア旅行TOP

MtBeautyのスキー場のオープンセレモニーが行われた。

S1995691 写真はどさん子君。

鼻の下を伸ばしてデレデレしてます。

でもスキー場がオープンしたと言うのに雪がありません。

でもそこはオージーで大丈夫、大丈夫すぐ降るからとかなりアバウトです。

それからおいら達はふもとにある小さな町で一軒家を借りて

一人の外人とオイラを入れて4人の日本人と暮らし始めるのでした。

しかし、結局のところ一番の目的だったスキー場の仕事は皆無で

毎日、ビリヤードをやったりカジノに行って散財したりの毎日。

そんな時、事件は起きた。

一緒に暮らしていた博多者の態度がある日を境に急変した。

どうもオイラを無視してる様子。

なんでか知らないまま1週間ほど過ぎた頃。

博多者が

「一緒に山登りに行こう」

と言う。

オイラもどうせやる事がないので快諾。

目の前の山に一度は登ってみたかったしね。

「いいよ」

って事で早速その日に山に登ることにした。

S1995761 これがその時の唯一の写真

博多者が写したオイラ。

トロッコの入り口がある所を見ると何かの鉱山の後だろう。

地下に吸い込まれるように線路は続く。

登山を終えた帰り道に迷い一番やっては行けない川沿いに道を下りはじめてしまった。

川を下ると言うのはなぜいけないか。

それは無理して下った後に滝などがあったら元にも戻れないから。

その言葉通り無理して難所を越えてオイラ達の目の前に立ちはだかったのは

両サイド絶壁のプール。

真冬だし泳ぐわけにもいかないし、まして引き返すにはかなり無理がある。

結局オイラが選んだ道は高さ20mはあろうかという壁を登ること。

絶壁に見えるが角度的には70度前後?

唯一の救いが足を掛ける所が要所要所にある事。

これは今でも思い出すが何しろこの時代にはフィルムカメラしかないので

写真を写してないのが残念だが仕方ない。

さてさて、オイラが先頭に立ち博多者のルートを細かく指示。

落石とオイラが落ちた時に博多者まで巻き添えには出来ないので

絶えずオイラの真下を歩かせないように気を付けて少しずつ登った。

どれほどの時間が経ったか覚えが無いがそのうち道に出た。

果たしてこの道がオイラ達の街に続くと言う保障は無いがホッとした。

さて、登りきった博多者はもう2度と山は登らんと豪語していた。

ついでに博多者の手にくっ付いていたヒルにも恐れをなしたようだ。

結局のところ無事に街にたどりつく事が出来たわけだが家に帰ると

博多者にとんでも無いことを言われた。

「HIROちゃん・・・俺ホントは山でHIROちゃんを殺そうと思ってたんだ。」

「えっ!?」

「でも、崖っぷちで色々助けてもらったから止めた。」

そんな事を言われたら穏やかでないので理由を聞いてみた。

・・・・。

なるほどそれはそんな気にもなるだろうなぁ。

だがちょっと待ってくれオイラが犯人なら仕方がないがオイラは違うぞ。

「うん、なんか今日山に登ったらそういう人間じゃないと思ったから話した。」

オイラも頭を整頓してみた。

Mtbeautyall 左の外人は一緒に住んでいないが

右の外人はデニスガンジャバックで

右からイチロー君でオイラ、どさん子・・・・

イチロー君はお金をそこそこ持つ心優しい男の子。

そしてどさん子は唯一スキー場のインストラクターとして仕事を得た一人で

性格は、かなり頑固だが犯罪的な人間には見えない。

ガンジャバックは外人だし・・・て事は犯人はオイラしかおらんはなぁ。

しばらく色々考えたが博多者がオイラを疑うのも仕方ない。

ただ犯人が特定出来ないので本当に困った。

事実はこうだ。

日本から博多者が持ってきたお金は殆ど底を付き始めていた。

が、彼には隠し財産があった。

それはオイラも知っていたが金額が幾らとか何処に隠してあるとかなんてのは知らない。

でもそのお金は母親のいない博多者の親父が何かあった時のためにと20万円の

日本円を封筒に入れてくれたらしい。

それが2回に渡り少しずつ抜かれちょっと記憶に無いが10万円ちょっと無くなったのだ。

そして住民を分析すると道産子とイチロー君は全体にその枠に入る人間ではない。

入るとしたらオイラかデニス。

でもデニスに日本円の意味が解らないだろうってのが博多者もオイラも思う所。

外部の犯行も考えたが、結局、夜みんなが揃った時に全てを告白した。

そしてオイラが切り出した。

「オイラしか博多者が隠し現金を持っているのを知らない。でも博多者が現金を

入れていたと言うトランクの中はオイラは一度も触れていない。」

なので指紋を採取して貰えばこの中に犯人がいないか解る筈。

なので早急に警察を呼びたいと申し出た。

すると・・・

デニスガンジャバックが

「警察を呼ぶのは止めてくれと」と言う。

もちろん英語で言ったのだが今のオイラにはその文章が思いあたらない。

理由を聞いてみると

スピード違反やら何やらで逮捕状が出ていると言い出した。

更に、「じゃその無くなったお金は俺が何とかするから警察を呼ぶのを止めてくれ」と

挙句に、払う代わりにトランクの中にみんなの指紋を付けろと言い出した。

もうこれでオイラの疑いが晴れた。

まさかデニスが犯人だったなんて。

もう少しで殺される所だった。

それからデニスの免許証を取り上げ現住所等すべて書きとめ借用書を書かせた。

翌日の朝起きるとデニスは家からいなくなっていた。

でも、この後、博多者は一人でシドニーのデニスの親元を訪れ借用書を見せ

親がデニスを呼びつけ現金回収に成功したそうだ。

ちなみにこの事を知ったのは日本に帰国してからの事だった。

S1995765博多者と2ショット。

デニスガンジャバックがMtBeautyを去った頃

スキー場も本格的なシーズンを迎えた。

S1995835 また、MtBeautyについては話したい事があるけど

12年前のこの日はオイラにとってちょっと特別な日なのでまた

思い出した様に語りたい。

さて・・・

何が特別な日なのかと申しますと・・・・

タスマニアで自転車を盗まれてから何ヶ月も経って色々あったが

オイラはその日を迎えた。

S1987116 これはメルボルンにあるクリーンズベリーヒル

オイラのブログの中で前にも紹介したけど

思い出深いユースホステル。

Mt Beauty からこうなるまでの経緯もまた他の時に少しずつ。

S1987117 横に写ってるのが博多者。

オイラは一足先に用事でシドニーに行っていて

ここに戻ってきたら偶然再開した訳。

なのでオイラの旅立ちにも立ち会ってもらった。

そうオイラはこの日からパースまで目指す旅に出る。

本当はタスマニアよりオーストラリアを一周する予定だったがあの自転車が

盗まれてから諦めていた旅を難所と言われるナラボー横断に変えた訳。

その時の日記にはこう書いてある。

(一日目)9月7日木曜日 晴れ

長い間、日記を書いていなかったが、また今日から書く事にした。

今から俺はメルボルンからパースまで自転車で行こうと思っている。

長い道だけど出来る所までがんばりたいと思う。

とりあえず今日は111km離れたバララットまでいく。

S1987123 オイラが街を離れて一番初めに見た

地平線。

 

S1987121  

 オウムの死体

 

S1987122 これもそう

オーストラリアの道端にはオウムが沢山いる。

 

大陸を横断している道路は直線で信号が無いのでみな100km以上出すので

この様な死体を本当に沢山見る。

これが到着時の日記。

S1987124 死ぬかと思うほど長かった。

水もないしどうしようかと思った。

明日の事を考えると今日は寝れそうにない。

でもがんばる。

宿 キャラバンパーク   8㌦                  距離  111km

                                 走行距離  111km

訳も解らずに走り出したらなんだか車専用道路見たいな道でサービスエリアくらい

あるのかと少しの水しか持っていかなかったら何にもなく死にそうな気になった。

しかも、初日から111kmも走ったから全身だるく、テントを立てて、インスタント

ラーメン二パックを流し込み日記を書き終えたら朝起きるまで記憶が無かった。

こんなあいまいに書いてあるがこの部分だけ鮮明に覚えている。

正直この日一日で止めようと思った事は書き記していなかった^^

ま、次回からは日にちを気にせず書くつもりですが、久しぶりに日記を見たら

今日が同じ日だったので。

 

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05/11/2007

Mt'Beauty

1995年オーストラリア旅行TOP

まずはMt'Beautyの座標です。

19957261 まさにオイラ住んでいた座標で裏は見てのとうりの牧場です。

前にUPした馬の写真はここで写しました。

小さな町ですのでグーグルで写真としてキチンと見れるようになるまでには

相当な年月が掛かるかもしれません。

近くに湖があり本当に小さいですがモールも存在します。

19956103 中央がオイラ。

写しているのは博多者って事だな

写ってないから・・・

左の外人はたまたま出会ってこの日だけ泊っていったOGで

右の外人は忘れもしないデニスガンジャバック。

左から2番目は前回も紹介した道産子でオイラを挟んだ隣がイチロー君。

ちょっと似ています。

到着した時にはキャンプ場で一週間暮らしました。

それよりは大人数で一軒家を借りればと借りた訳で此処での生活が

始まりました。

しかし、スーパーに行くにも3kmほどありスキー場までも10数キロあるし

実際スキー場に行っても仕事が無いどころかオープンしたての時

雪が無いのでガッカリしました。

スキー場には仕事があるって事だったのに。

それでも一軒家を借りてしまった以上後戻りは出来ない。

オイラの現金も底をついてきてるし、ここらが潮時。

今、ここで何とかしないとがフツフツと沸いてくるのでありました。

電話しても言いたいことは言えれるのだけど向こうの言葉が理解できない事が

多すぎて中々仕事が見つからない。

しばらくしてスーパーで偶然に日本語を発見。

て言ってもカップルなのだが此処はオーストラリア。

仲良くする要素を秘めている。

ってな訳で言葉を交わすとあっと言う間に仲間になりました。

彼の名前はノリで彼女はユキちゃん。

彼は車を持っていたので買い物など結構助けてもらいました。

そしていよいよスキー場がオープンするのでした。

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05/10/2007

ビリヤード

1995年オーストラリア旅行TOP

写真の整理も三分の一程度は終わった。

ネガだけではどんな写真か解かりかねる事がありますが

スキャンしてみると懐かしい写真もあります。

19957266 これは日本ではまず置いていない

ビリヤードの台です。

普通のビリヤードの台の三倍くらいはあるでしょうか。

これでやるゲームはスヌーカーってゲームをやるのですが普通の台では

玉数が多いのでこのゲームは出来ません。

探してみたら日本でも協会があるのですね。

1995615 この写真を見ると解かるのですが

これは普通より小さいビリヤード台ですが

ポケットの入り口のクッションが角がなく丸い事が解かると思います。

2076126821 日本の台には角があり角より内側にボールの

圧力がかかればポケットに入ります。

でもこの角が丸いと反射角に対して正確に

弾いてしまうので確実に直接触れない入れ方でないと玉が飛び出る可能性が

日本の比ではありません。

この台を使って8ボールというゲームをします。

ルールは1番から7番までをSMALLで9番から15番までがBICと分けます。

この先は場所によりルールは若干違います。

ブレイクショットで落としたほうを普通は選びます。

落ちなければ後者にその権利が譲られます。

そしてBICとSMALLが決まったら自分の玉を自由に落とすことが出来ます。

SMALLの人ですと一番から7番まで自由に落としていける訳です。

その時に相手の玉を落としたらペナルティーだとかはまた地方によりルールが違います。

ペナルティーをうけると相手は2回連続失敗するまで出来るとか色々なパターンが

存在しますので対戦前に必ず確認するのがオーストラリア流です。

そして持ち球全部を落とし終えると8番を落とす権利が与えられ

それを落として初めて勝利が確定します。

オーストラリアでは普通に何処のバーにでも置いてありお金を入れて

レバーを引くと玉がドコッと落ちてきます。

一度入った玉は次お金入れるまで出ませんので並べる時は注意が必要でうす。

白玉は当然ですが落ちてきます。

電気も使ってない台なのになぜ落ちてくるのかというと白玉だけ若干小さいので

レールから落ちるという訳です。

さてこのゲームに勝ちますとこの台をキープする事が出来ます。

なのでビリヤードをやりたい人は勝者にするために機械にお金を入れて

挑戦しなくてはなりません。

しかも大体ビールを賭けないかと言われます。

みな、ただ酒を飲みビリヤードを楽しむために酒場に来るといっても過言では

ありません。

どの酒場に行っても主みたいな仕切り屋が必ずいます。

いつかは勝てれるようにこちらもどんどん勝負しますしね。

なので酒好きでオーストラリアで暮らした人ならちょっとビリヤードに自信があるはず。

知り合いの人がいたら聞いてみてください。

オイラは相当な手だれです(゚ρ゚)

なんて・・・・

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03/02/2007

余談ですが・・・

1995年オーストラリア旅行TOP

この前の休みに新しいパソを買った。

店にあるパソはいいとしても家のパソはXPの出始めに組み立てた物だし

ネット環境も繋げていなかったので、家電メーカーのパソコンを買う時に

ついでにネットも申し込むと2万円引きってやつに挑戦した。

なんだか得した感がある。

ま、2年間は契約解除が出来ない仕組みであるのは携帯電話みたいな

仕組みで家電メーカーが利益を得るようにしてあるに間違いない。

ま、オイラはそれを糧としていないので関係は無いが・・・

で、ついでに今回はプリンターも買った。

年末に買ったプリンターの性能があまりにも良かったので同じのをチョイス。

流石に年賀状シーズンと比べると格安。

オイラは16000円で買ったはずだが今回は13800円だった。

で、これもついで感で前から欲しかったスキャナーも買った。

今まで使っていたスキャナーはフィルムスキャナーが無かったので

昔の写真を整理する事が出来ず、このカテゴリーである

1995年オーストラリア旅行

の話しを続けるにはどうしても欲しいアイテムだったので・・・

そして今回は椅子のパソコンデスクを止めて、前に使っていた床に

座るタイプのを押入れの置くから出している時に、ふと段ボールを開けてみると

Img_0811 ずっと探していたこれが出てきた。

まさにインターネットが普及していない時代だったので

これを片手にオーストラリアを旅したオイラにとってのバイブル。

もう無くなったと諦めていたのでとても嬉しかった。

日記があってもこの本がないとオイラが書いた日記なのに解読出来ない代物と

言っても過言ではありません。

これでまた、1995年オーストラリア旅行が続行出来そうです・・・

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12/09/2006

2ヶ月ぶりくらい・・・

1995年オーストラリア旅行TOP

カテゴリにこんなのあったかと忘れてしまうくらい久しぶりになってしまった。

理由は出来れば早いうちにフィルムスキャナーを買ってあの当時の写真を整理してから

出来るだけ沢山の写真をUPしながなんて考えていたから・・・

そのうち忘れてしまうまでに至ってしまったという訳。

話しを忘れたので前回に戻るはこちらから

さてさてクィーンズベリーYHAを後にしてメルボルンからM'tBeautyに

日本人四人で向かう。

そのメンバーをもう一度紹介すると道産子、博多者、イチロー君、オイラ。

Itiroukun 彼がイチロー君。

ちょっとマリナーズのイチローに似てるでしょ??

しかも変なのを見てる写真です。

Hakatamono そして彼が博多者。

これはオイラ達が借りた一軒家の裏庭に毎日来る馬との写真。

これについては次回に・・・

Dosanko そしてオイラと写っているのが道産子。

顔は関係ないけどこれでもスキーではスーパーインストラクターの

称号を持っている男だ。 

なんかオイラのこの写真って麻原と言われても仕方ないですね。

Hotham_1 Hothamのスキー場のパンフにも載った。

が他の外人がサングラスできめているにもかかわらず

素顔をさらけだすあたり彼にしてみればよほど顔に

自信があるようだ。

みんな道産子のスキー場には仕事があるぞに引き込まれた連中だ。

これから2ヶ月この街で暮らすことになる・・・

着いた場所は日本のそれとは違い町に雪は無く一同唖然とする。

が、よく訊けばスキー場は山の上にあるらしい。

オイラ達はとりあえずバスターミナルから適当にキャンプ場に電話して今夜はそこに

泊ることにした。

で、迎えに来てもらおうと電話をするがどうもキャンプ場は迎えに上がるのを

嫌がっている様子。

でも、荷物も多いのでと何とか迎えを頼む。

迎えに来てもらいバスターミナルを出発して拒んだ理由が解かった。

なんとそこはバスターミナルから300mほどしか離れていなかったのだった。

英語をオイラ達は理解できなかったから無理を言ってしまった。

それにしても日本人はなんとわがままだと思われたに違いない。

さておき、みなで相談した結果、このキャンプ場に一週間滞在して

その間にスキー場での仕事&住まいを見つけようと言うことになった。

翌朝からそれは始まったのだがまず手始めにこの街の繁華街に行くことにした。

道産子はすでにホームスティ先を見つけていたので今日からは別行動。

そしておいら達三人がキャンプ場を歩き出し数分した時、ふとオイラの頭を

過ぎったのがヒッチハイク。

これはこの先を考えても一度は経験しないといけないという訳で・・挑戦してみる。

しかしどの車も当たり前のように通り過ぎる。

理由は簡単でした。

よく考えたら男三人で車を止めても止まるはずが無い。

せめて二人だろうと言うことでじゃんけんで一人は隠れて二人でヒッチハイクを

してみる。

すると以外や以外一台目の車ですんなり乗せてくれた。

HAI!!I'd like to go to the next town.

するとOK No Problem とすんなり車は動き出した。

後部座席から後ろを振り返ると、取り残された博多物が寂しそうにこちらを見ていた。

が、それもつかの間なんと大きく曲がった先に繁華街はあった。

なんとなくなさけなくもありがとうと言って下車する。

イチロー君と顔を合わせ次の街ってスキー場じゃなかったのかなぁ??

と二人で苦笑い。

300mくらいの距離をもどり博多者と再合流。

とりあえずM't Beautyのモールで昼食をとり再検討。

やはりスキー場までヒッチハイクで行くしかない。

どうも距離的には15kmほどはあるようなので。

そしてジャンケンをしたらまた博多者が負けて今度は先に歩かせる事にした。

二人だと敬遠するか一人だと敬遠した人間でも乗せて行くことがあるかどうかを

検証するためだ。

博多者が出発後10分程度遅れてオイラとイチロー君は出発した。

すでに10分程度の間に何台もスキー場への一本道へと上がっていっているので

すでにスキー場への切符をてにしてるかもなんて会話しながらオイラ達も10分程度

歩き出してからヒッチを試みる。

数台目で簡単に車が止まった。

子供連れの奥さんだった。

スキー場まで行きたいのですがと言うとOKしてくれたので乗車。

車を走らせること数分。

彼女がNOと言いながら私はもう乗せてるから無理といって呟いているので

ふと前をみるとファックユーとも見えるべく親指を突きたてヒッチハイクの

ポーズをしていた博多者がいた。

なぜだか二人でシートの影に隠れてその場を通り過ぎてしまった。

途中でオイラ達を乗せてくれた奥さんの旦那さんが車を止めて木を切っていた。

オイラ達も流れでそれを手伝うことになった。

あらかた済んだ頃に旦那さんがハーブと言ってタバコをくれた。

吹かしてみるとそれは懐かしい味がする。

マリファナだった。

こんな子供も奥さんもいる前でいいのか?

と思ったがこれもまた流れるままに。

そしてお土産にと更にハーブを入れた入れ物を渡された。

ようやくスキー場に着くとそこは一面銀世界。

のはずだったがまったく無い。

オープンパーティーまでには積もるらしいが・・・

一番外の入り口で博多者を待つ。

結局オイラ達よりもずっとずっと遅れてから到着した。

すでに夕暮れも近くなり結局スキー場から降りてきて一旦停止している車に話しかけ

キャンプ場に戻り今日の就職活動が終わった。

で夜はなぜだか貰ったハーブでのマリファナパーティーになってしまったのでした。

もちろん今ではタバコも吸わないし酒気帯びもしないので今のオイラには

警察に御用になる事は何一つも無いことを追記しておきます。

さてさてあの時、再会を果せなかったレイチェルはといいますと・・・

今のオイラの嫁さんでありました。

となる訳はなく今では仲のいいメール友達です。

Img0015 最近オイラが催促してレイチェルから送られてきた

写真は10年前と比べ大人の女性になっておりました。

I can meet again with Rachel?

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10/18/2006

一週間も更新休み久しぶりのオーストラリア旅行続きです。

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チャップマンに着くとレイチェルがいるかもしれないので

♪((O(〃⌒∇⌒〃)O))♪ドキドキしているオイラ

とりあえずチェックインする間だけでも顔を会さずにやっておきたい。

そろりと覗き込みフロアを見渡す・・・

大丈夫のよう・・・⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ

とりあえず荷物を部屋に入れた。

ほとんどのバックパッカーはシェアルームで他所の国の人達と

使うわけなので貴重品は原則身の回りに確実に置いておかなければならない。

パッキングしていた荷物を開放ししばしの安堵感を味わう。

その間、ベットに横たわり日本を出発してからの事や初めて行った韓国、

そしてオーストラリアの大地に立ちタスマニアに渡り自転車を盗まれ

盗まれた事によりレイチェルと出会い・・・そしてこれからの事を考えた。

しばらくしてフロアに降り初めてレイチェルを探した。

宿泊名簿でレイチェルを探してもらう。

まぁ、今の時間に彼女が此処にいるかは別にどうでもいい事だったが

とりあえずの居る事を確認したかった。

多分、買い物かなぁ・・・それとも観光かなぁ・・・

まつこと数分・・・

フロントの女性がこういった。

そんな人は居ないと・・・

そんな馬鹿な事はない・・・もう一度確認してくれと促すと

宿泊名簿を手渡され自分で探せと言うので自分の目で確認した

が・・・確かに何処にもない。

名前のスペル、ファーストネームも確認しなおしもう返せと言われるまで探した。

でもやはりそこに彼女の名前は無かった・・・・

なんだか自転車が盗まれてそのおかげでレイチェルと出会い

その盗まれた自転車の保険の為に彼女とすれ違ってしまった。

そうなると此処に居る意味は無くなった。

次こそ本当に自分の進むべき道を見つけないと・・・

自転車が盗まれたから良い夢を見させてもらったんだと諦めた。

ただどうしてなんだろうと考えずにはいられなかったけど・・・

ふと考えたら宿泊名簿は今日のだ、だとすると先週までのレイチェルは・・・

もう一度訳を言ってフロントの人に聞いてみたら・・・

昨日まで修学旅行の予約で一般客は断ったとの事・・・それでか・・・

今日一日待って来なければ彼女は来ないだろう。

別れの時、もしかしたら予定を切り上げるかもしれないので

終わりしだいメルボルンに来てと言われていたが今考えると

一週間後の言葉のニュアンスさえ曖昧だった気もする・・・

ただこれでオイラと彼女の出会いは完全に終わってしまった事は実感出来た。

それでももしかしたら此処に来るかもしれないとも考えたが

翌日、オイラはクインベリーユースホステルに移り変わった。

3日ほどしてもしかしてフロントにメッセージがあるかもしれないと

出向いたら博多者と再会した。

彼との再会の約束さえも忘れてしまっていたオイラ・・・

ビジターブックにタスマニアで再会を約束したキョウコちゃんのオイラ宛の

メッセージを見つけた。

オイラに会うために此処に来たのにあなたは居ませんでしたと・・・ポツリと

今考えると彼女の日本の住所や苗字や名前すらオイラは知らなかった。

いや、必ず会えると言う自信からその時に住所を交換すればいいやと

安易な気持ちでいたし少々レイチェルの事で浮かれていたのもある。

もし、もう一度会う事が出来たならキチンとお詫びがしたいと思う。

でも考えると今までオイラが泊まる度に記してきたビジターブックは

今もきっとオーストラリアで誰かが見るのを待っているでしょう。

もしオーストラリアを旅する人でこれを偶然読んだならオイラの記した物を

見てくださいね。

もしこれから行かれるならオイラにメール下さいね・・・・

さてさて

131_5 これがその時にクィーンズベリーユースホステルに

泊っていた仲間。

後ろの幽霊見たいのが道産子、右端が博多モン、正面がイトケン、中央に

瑞穂ちゃんなどなど・・・

ここでは今までの事を吹っ切るかのように楽しんだ。

今後の事も考えると不安まるけなのだが、今、オイラは尻尾を丸めて

日本に帰る訳にはいかんのです。

世襲息子に二度目のチャンスは無いのです。

そそ、オイラの保険金ですが・・・・出ませんでした。

一円も出なかったです。

理由を聞いてみると海外は適用外との事でした。

それって、ハイそうですかって話しなのでしょうか?

その後も前にブログの内容に書きましたがいい加減そのものです。

義理とは言え、何とか彼と縁が切れないか思案しております。

でもこの時のオイラはそれすら怒る気力は失せていました。

それより道産子情報によるスキー場での仕事に向けただ前進するのみの

前向きの気持ちがクィーンズベリー最後の夜を道産子、博多者それを聞いていた

イチロー君そしてオイラ、そして写真に写っている友達、写っていない友達も

巻き込み一緒に作ったラーメンと餃子とビールで最後の夜を過ごしたのでした。

そしてオイラ達(道産子、博多者、イチロー君、オイラ)の四人は幽霊のように

写真に写る道産子の話に乗りスキー場へ仕事を求めたのでした。

合言葉は「スキー場には仕事があるぞ~」

だった気がするのだが・・・・・(゚ρ゚)

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09/21/2006

それから~

1995年オーストラリア旅行TOPへ

さてさて

レイチェルがトランジットバックパッカーに戻ってきてから

オイラは少し“o(* ̄o ̄)o”ウキウキ♪

でも、何時まで居るのか何にも解からない。

早く話をしたかったんだけどテレて隠れるσ( ̄。 ̄) オイラ

むぅ....

夕方、夜ご飯をいつもの様に飯ごうで炊いていると

レイチェルが来た。

しばらく他愛も無い話をしている。

何処に行っていたとかいつまでここに居るとか・・・・etc

そそ、レイチェルはベジタリアンなので動物性の物が食べれない。

いつもビーンズとお米をお粥のように作って食べている。

それにしてもご飯の作り方がアバウトなのでオイラが手ほどきを見せた。

女性にそれをするのは失礼だったなと後から思ったが

すでに遅し。

でも、仲良くご飯を食べその夜は遅くまで話した。

それからしばらく毎日デートした。

もうオイラは離れられない情態だった記憶がはっきりしている。

レイチェルはベジタリアンだからかお菓子が大好き。

特にチュッパチャプスみたいなロリポップをいつも食べてた。

そしてそのパッケージをノートに貼り付けて味についても詳しく書いていた。

それを見て子供だと言ったら、

ふくれて怒った。

昔、日本で付き合っていたカナダ人の彼女の家でクローゼットに何が入っているの

と、聞いたとき彼女はナイショと言って見せてくれなくて、どうしても見たかった

オイラは鶴の恩返しでは無いけれど開けてしまった。

そしてら洗濯物がダダ~ッと落ちてきてびびったがそれに気付いた彼女が

あわててプライベートだからと言ってふくれた時も似たような顔をしたのを

思い出した。

何処の国の女の子もふくれた顔は妙に可愛らしい。

そんな事もありイギリス人女性だからとか外人だからとかでは無く

普通に好きになってしまった。

それからしばらくしてレイチェルの弟がここに来た。

兄弟では一緒に行動しないけど要所要所で顔を合わせられる様に

旅をしているらしい。

この弟と二人でバーで酒を飲むことになった。

彼もさすがにレイチェルの弟らしくとても優しい男だった。

話を色々聞いてみると・・・

これからメルボルンに向かいそこから北上してケアンズでピッキングを

すると言っていた。

どうやらそれについてレイチェルもタスマニアを離れるらしい。

それを聞いたらオイラもここに来て2ヶ月が経つがいつまでもこれじゃなぁと

改めて考えた。

その夜、彼女からやはりメルボルンに行くと改めて聞いた。

どちらにしてもタスマニアを離れるとすると一度はメルボルンに戻らなければ

ならないのだけど、戻った所で行き場が無い。

そんな気持ちを察してくれたのかどうかわからないけど

レイチェルがオイラにこう言った。

私と二人で旅を続けないかと。

オイラは直ぐに返事したかったけど考えとくと言葉を濁した。

翌日も一緒に居た。

オイラの中でも、もう行くことは決めていたので夜に一緒に旅しようと言った。

出発を控えた金曜日の午後それは送られてきた。

拝啓~~~~~

~~~~~~~このたびは自転車が盗まれたとの事。~~~~~~

~~~~~~HERO様が日本を経たれる前に解約された傷害保険が

残念ながら私の不手際により継続されていました。

つきましては今回の盗難された自転車の購入金額全額をお支払いしますので

盗難証明書を警察署より発行してもらいご面倒ですが日本に送付してくださいとの事。

ええ~~~??

こんなかっこいい文面だったと思うが連れからの手紙。

多分、役に立てる自分をかっこよく見せるためにこんな手紙の書き方をしたんだと思う。

早速、警察署に出向くも5時までで終わりと言われ月曜日に改めて来いと言う。

しかし、明日出発しなくちゃならないし書類に不備があってまたここに戻って来る事は

不可能だし、レイチェルの予定を変更させる訳にもいかない。

結局、レイチェルと話し一週間後にメルボルンで待ち合わせをする事にした。

今の俺に10万円が戻ってくる事は今後においても非常に心強いし仕方が無かった。

翌日出発するレイチェルを見送りに出た。

一週間後に会える事は解かっているけど二人で抱き合ってKISSをした。

バスの中から彼女がオイラにカメラを向け写真を写したのを今でも憶えてるが。

その後、盗難証明書を発行してもらいトランジットバックパッカーを出発した。

ティムとテレサに本当に宿泊料金を取らないのかと聞いたが要らないと言われた。

計算してみると盗まれた自転車分の料金分位お世話になっていた。

さてさて名残惜しいが出発。

トランジットバックパッカーの名前どうりにこの階の下にバス乗り場がある。

(トランジットバックパッカーの上空写真&座標

ここからみんなが旅立ったようにオイラもデボンポートに向かった。

しかも前の約束どうりにあのタスマンハウス(この間までリンク出来たが今は

閉鎖?されているようなのでもしかしたら無くなったのかもしれないな)に

3日ほど泊まる事に。

ここでその後も長い友達になる博多者と出会い、その時連絡先を聞かなかったけど

メルボルンで再会する約束をしたキョウコちゃんに見送られスピリットオブタスマニア

メルボルンに向かった。

翌朝到着して早速レイチェルと約束したチャップマンYHA

(今は名前が変わったようだ)

Although this is the map and book which were got from Rachel,

do you remember it?

Even now, it is my treasure... Also future

Map  

 

これはレイチェルから貰ったオイラの地図。

彼女直筆でNO COOKと書いてある。

オイラの料理に感銘でも受けたのだろううか┫ ̄旦 ̄┣ フフッ

それは不明。

そしてこれは彼女が読んでいた本。

1_1 これは別れ際に貰った。

いまだに読んでない。

もしかしてこんな映画あったかなぁ・・・

でも大事にしまっておいた。

そして中を開けると

2_1 さらにNO COOK  と書いてあり

その下にSUPER HEROと書いてあります。

HIROなのにレイチェルはオイラの事をHEROと呼ぶようになり

それから外人には自己紹介でかならずHEROと呼んでと言うようになり

それがオイラの”一人きりのHERO”の語源にもなった訳です。

そしてオイラはレイチェルに再会するためにチャップマンYHAのドアを開ける・・・・

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09/08/2006

10年前の出発日を忘れていた。

1995年オーストラリア旅行TOPへ

余談・・最近遊びすぎで9月7日から自転車の旅に出た日に合わせて昔話の

ログを載せていこうかと思っていたのにすっかり忘れていた。

ちょっと日にちはズレてしまうのだけどオイラが自転車で再び出発するまでの事を

簡単にUPしたいと思います。

ただしこの部分の日記は無いので10年前の写真と記憶だけの色あせた物ですが・・・

自転車を盗まれてから~

なんだかこのトランジットバックパッカーでナマズの様になってしまい

ほとんど住人と化していた。

(グーグルでの航空写真が大きくなりましたので座標を住所からの入力で)

旅人を向かい入れて送り出すみたいな日々を過ごしていた頃だった。

131_4 世界中を旅していると言う大阪の日本人が来た。

通称”仁さん”

彼もビリヤードが大好きでオイラと二人で顔を合わすと勝負した。

もちろん勝った方がお金を払うのだがオイラの方が上手かったような記憶だけが

残るのだがどうだったろう・・・・・

さてさて、次の日に来た日本人はやはり大阪から来た”タクヤ”君だった。

彼はオイラが何かしゃべると包んで下さいよ~が口癖だった。

それから日本から来ていた女の子で”泉ちゃん”・・・・

その子に仁さんが妙に惚れたのをなんとなく覚えている。

 

そう言えばさっきすげーかっこいい外人がいましたよ・・・・とタクヤ

どんなやつと聞くと・・・・

ニュージーランド人で名前が”ラッキー”とか言ってましたよ・・・と

ああ、オイラが書いたバックパッカーのビジターブックを読んだなと悟った

オイラだった。

なのでタクヤを相手にしなかった。

夕方、オイラの名前をタクヤが呼ぶ・・・・

どうしたの?・・・ほらぁ彼が昼間話した”ラッキー”すよと・・・・

てっきりオイラをからかった話だと思っていたのに本物のラッキーが居た。

一ヶ月ぶり以上ではあったけどお互い忘れているはずも無くがっちり握手した。

”タスマンハウスでラッキーに逢いここで再開した⇒その時のブログを見る

それからもう一人紹介したい人は”レイチェル”です。

彼女はイギリス人の旅行者でベジタリアンです。

オイラが自転車を盗まれたと聞いて、お金目的なら新聞に出てる売ります買います

コーナーの所で売りに出すはずだからと新聞が出るたびに探してくれた。

それからしばらくしてだったが日本男児三人でレンタカーを借りてタスマニアを

周る事になった。

132_1 その時その面々で送り出してくれた写真

左からタクヤ、レイチェル、イズミ、ラッキー、陣さん

カメラマンはオイラ・・・・・

そして旅立ちさよならをした。

一日35㌦の一番安いバンを借りての旅行だった。

一番行きたかった”タスマニア物語”の舞台になったリッチモンドにも行った。

ここにはオーストラリアで一番古いと言われている橋があります。

クレイドルマウンテンやら色々行ったはずなのだが日記が無いのと

地名が英語なのですべて忘れている。

131_3 ああ、ワイングラスベイにも行ったなぁ。

写真があった。

写真奥に見えるのがワイングラスベイなんだけど名前の通りだね。

ポートアーサーにも行ったしウェリントン山も車で登った。

確かに楽しかったけど何しろ10年前だし、写真さえ未だに整理されておらず

この4日間だかの旅行の話はこれでおしまい。

そして陣さんはここからニュージーランドに旅立った。

最後にオイラが羽交い絞めにして泉ちゃんと陣さんをキスさせた事は忘れない。

ラッキーも旅立って居なかった。

タクヤも旅立った。

また誰も居なくなった。

が次の日、レイチェルが居た。

旅立ったと思っていたが弟とホバーとで待ち合わせをしているとの事で

戻ってきた。

実はオイラ、あの時彼女に親切にされて心がブルブルしていたのだ。

だけど旅行の出発もありこれでさよならは嫌だったけど仕方が無く

出発したのが本心だった。

ああ・・・・・・・・・・・つづく

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07/26/2006

更なる試練

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月23日

この日は晴れと日記には書いてあった。

今日の朝はゆっくりと起きた。

今日は買出しをして明日出発するからだ。

いつものように朝食を摂りタバコをふかす。

そろそろ買いだしに行こうと階段を下りて自転車置いてある場所に行く・・・

あれ?

ああ、誰かじゃまだったので自転車をどかしたのか・・・・・

う・・・・

だけどオイラはチェーンでロックさせたはず。

ホストに聞いても知らないって言うし・・・どうなってるんだろう・・・

しばらくするとホストがこのチェーンお前のかと聞く。

ああやっぱりどかしてくれたんだと安気で考えていると・・・

これ、外に落ちていたから自転車は多分盗まれたんだなと言われた。

それから警察を呼んだが盗まれたお前が悪いと言われ、保険でまた新品をと言われた。

でもそれは無理である。

だって保険には入らなかったから・・・

こうしてオイラのタスマニア自転車の旅は一歩も進むことなく日記とともに終わった。

ただ、このバックパッカーの一周年記念で夜は盛大に盛り上がった。

夫婦のティムとテレサがオイラこう言ってくれた。

君はこれから何時来ても宿泊費は要らないと。

夜は泣きながら寝た・・・・・

実は、オイラはこの後、この言葉に甘えた訳ではないのだけど

ここが妙に居心地がよくなり2ヶ月も此処に居ついてしまった。

9月7日の日の日記が再開するまでの記録はポツポツと写した写真のみで

文章的には何も残されていない。

また9月7日が来るまでの間少しずつ色々なオーストラリアの写真を紹介して

行きたいと思います。

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07/25/2006

ハワイ二日目~かな?

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月20日

今日も自転車やさんでのんびりしていた。

店員さんに色々な事を聞きながら吟味する。

なんか話しているうちにどんどん贅沢な自転車を選ぼうとする自分がいる。

ちなみにシマノは全世界でもダントツNO1の自転車部品メーカーだ。

オイラなんて釣具もシマノをチョイスしている。

自転車で旅行する場合はキャリアを自転車に装着して

前輪に荷物、ハンドル部分にも荷物、後輪分にも荷物さらにその上にも荷物を

乗せられるようにしなければならない。

テントや水さらには寝袋、食料、衣類などなどを乗せなければならないから

大変である。

なんかもうすでに自転車を買う気満々の自分が居る。

1995年4月21日

オーストラリアに来て最大の試練に立たされた。

昨日の夜の事だ。

料理をしている時包丁で指を削ってしまった。

削げた肉がないので蓋をする事が出来ずに血が止まるまでかなりの時間が

掛かった。2時間くらいは止まらなかったのではないでしょうか。

よっぽど病院に行こうと思ったが夜だという事もあり我慢した。

そんなときに限り日本人も誰も居なく凄い寂しさを、初めて日本に哀愁を感じた。

気持ちとしてもうこのまま日本に帰りたいみたいな感情が沸いた。

だがその時初めて自分の中で今、自分でこれを乗り越えないと見たいな物が生まれた。

 1995年4月22日

昨日の気持ちを忘れないうちにではないがそれからの行動は自分で言うのもなんだが

はっきりしていた。

迷っていた自転車を買った。

日本に帰るときにはこれを持って帰るつもりで思い切って買った。

予定どうりのキャリアと空のバックを装着してもらいトランジットバックパッカーに戻る。

バックを置いて早速街中を走り回った。

オーストラリアでは自転車はヘルメット着用でないと道交法違反になるので

キチンとかぶるがオイラには似合わないのは確かだった。

夜はバックパッカーはピンナンバードアロックで宿泊者しか入れないので

自転車を中に入れ配管に新品のチェーンロックで繋いでおいた。

明日は食料の調達で明後日にはここを旅立つ事にした。

行き先さえ決まっていないが明日地図を買いタスマニアの風向きで

右回りか左回りか決めるつもりだ。

指を切ったおかげかどうか解らないが兎に角きっかけになった事は確かだ。

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07/24/2006

忘れられた日記の続き

1995年オーストラリア旅行TOP

1995年4月18日

昨日まで二日間、大阪から来ていた四人組がいたけど、みんなとても好い子達でした。

だから二日間とても楽しかった。やっぱり日本語はいいですね。

ただ、彼らは東海岸から来たみたいでマリファナを沢山持ってて隠れて吸っていた。

オーストラリアの法律では首都のキャンベラではマリファナを売っている。

でも、キャンベラ以外では法律に反するのでだめです。

でも、このとてつもなく広い大地で農園活動をしている農家達はかならず

自己栽培しています。

これをハーブなんて言って吸わしてもらった事もあります。

その時はハーブってなんだろうと思いましたが吸った瞬間に・・・・

ああ、マリファナの事かと・・・・

当然、彼らには罪の意識はありません。

オイラは、もうやってませんがマリファナを吸うと丁度お酒に酔いすぎたような

感じがしますが、お酒を呑みすぎた時に起きる気持ち悪さなどはないのでそれが

気分が好いわけです。

でも、心理状態の悪い時にマリファナなどの薬物を使用すると普段大人しい人でも

凄く怒りっぽくなったりもします。

変な話ですが例えばピーナッツの茶色の薄皮なんかも燃やすとマリファナと同じ香りが

しますし、鳥のえさのケシの実でも一袋買ってくるとたまに川がかぶったままのがあり

それを集めて吸えば同じでしょう。

今だから言えるのですが薬物はやらないに限ります。

さてさてマリファナ三昧の男女2*2の大阪人達が居なくなりまた寂しいバックパッカーに

逆戻りでした。

でもその方がオイラは勉強したり積極的に外国人と会話出来るのでその方が

いいのですが・・・・・

なんか日本人がいる所でオイラが英語話すとなんか悟られそうな気がして・・・・

1995年4月19日

今日から市内の自転車やさんを廻っています。

今のオイラにとって目的が無い事こそがこの国に来ている意味さえも見失うので

せめて自転車でオーストラリアを周ろうかなぁと・・・・逃げている訳です。

でもほんとにこのままではいけないので一応、自転車探しも真剣にやってますが。

しかし、そこそこの荷物が載せれて耐久性を考えると10万円前後でしょうか。

この金額を捻出するのであれば自転車主体の行動の仕方を考えなければ

なりません。

つまり移動は自転車みたいな感じですね。

どうなることやら・・・・・・

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05/29/2006

久しぶりに日記の続き

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月15日

今日はサラマンカマーケットに行った。

欲しい物は山ほどあるが、今は必要ないものが殆ど。

買ってしまって日本に送ろうとも考えたが止めた。

そういえば今日は土曜日なんだ~~

日本のオイラのお店は忙しいだろうなぁと考えると目的もないのには

自分なりに情けないと強く思ってしまう。

でも、夜が来るとバーでオージーを相手にビールを呑みビリヤードに

逃げてしまうオイラだった。

1995年4月16日

本当に毎日する事もなくここに居る。

バックパッカーの従業員はオイラが何をしにここに来たのか

不思議な様子。

そりゃそうだ、本人も何しにタスマニアに来たのか今となっては

解らないんだから。

英語も解らん自分で何をしたいのかも解らん。

そんな事をTransit Centre Backpackersにあるビジターブックに

書き続けているオイラだった。

このビジターブックまだあるのかなぁ??

今度、メールしてみるか.............

1995年4月17日

もうオーストラリアにきて一ヶ月が過ぎた。

けど、中学高校と英語なんて勉強した事無いオイラは未だに言葉が

聞こえないし喋れない。

最近少しだけ勉強を始めたがそれ以外毎日する事はない。

ただ、英語を勉強するだけなら日本でも出来たはず。

周りは外国人ばかりだってのにオイラはどうも外人うけが悪いみたい。

誰もオイラと接しようとしないんだもの。

ああ~少し日本が恋しいオイラだった。

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04/28/2006

何がしたいのか....

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月13日

何も出来ない何もしていない。

ぐうたら君。

1995年4月14日

今日は神戸から来ていた女の子(園子ちゃん)が教会見学に行くって

言うものだからオイラもご一緒した。

でも、キリシタンではないオイラなのだがお祈りを見届け帰りに

パンだったのかなんだったのかを貰った。

この間、実に2時間だよ~~~。

とほほ.....

時間もまだ早かったので二人でワイルドライフパークに行った。

話をしながらバスに揺られ1時間も掛からないほどで着いただろうか。

料金を支払い中に入ると.............

カンガルーが放し飼いになっていた。

そもそもワイルドライフパークと言うのは野生で傷ついた動物たちを

保護したり野生に戻したりが業務だがそれを動物園としても営業している。

おかげで少しは収益があるものだから国からの援助だけではないようだ。

このような形態なら永きにわたりこのようなライフパークも存続していくのだろう。

おまけに触れるものだから人気もある。

さすがにコアラとかは囲われた所に居たけど時間が来ると抱っことか写真も

写させてもらえる。

オイラ的にはウォンバットが一番のお気に入りでした。

これは本当にかわいかったです。

名残り惜しいが帰りのバスに乗りまた道中で色々、使える英語を教わった。

夜もご飯を食べた後英語を教わった。

ただ、また仕事を探す事から逃げてしまうオイラがそこにいた。

でも、半分仕事なんてどうでもいいやって気持ちがうっすら見え隠れ

し始めるオイラがあった。

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04/21/2006

先の見えない不安

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月9日

今日は日曜日。

バックパッカーの近くに釣具屋があるので行って来た。

釣りの文化もかなり違うのだが道具は主にダイワやシマノが

高級釣具として扱われているが、日本製品以外の釣具には

繊細さが欠けているように思う。

改めて日本の釣り道具の素晴らしさを思い知る。

絶対世界一に間違いないでしょう。

品質、種類、完成度において。

このお店みたいに釣り道具専門店は珍しく、普通はキャンプ道具や

スポーツ用品などと一緒に売られています。

ただ、普通にライフル銃などが売られているのには抵抗がありますが。

最初はモデルガンとずっと思っていましたから.............

次はモールに向かいます。

距離こそ短いですが色々なお店が連なり途中のベンチで腰を下ろし

ボ~ッとしているとこれはこれで気分がいいです。

行きかう外国人の中、日本人なんて全くいません。

中国人は何処にでもいるのだけどね~。

適当に食料を調達して宿に戻ると英語の先生をやってるって言う

日本人がいた。

ご飯を食べたあと色々役に立つ英語を教えてもらっていたら

夜中の2時を過ぎていた。

1995年4月10日

今日は大雨だった。

何処にも行きたくないが仕事を見つけなければならないので

農家の仕事を募集している所に電話してみた。

オイラは日本人です。

仕事ないですか?

と一方的に言ってみた。

帰ってきた言葉はここには仕事がないで

電話番号教えるからそちらに電話してみろとの事で

電話番号を聞くが、掛けたら現在使われていませんだった。

こんな事を繰り返ししているのだが仕事に就けるか、お金が無くなって

しまうのか、このままでいいのか。

その事ばかりを考えてしまう。

このころより日本に帰ってしまった夢をよく見るようになった。

目が覚めると帰ってない自分にホッとするようになる。

1995年4月11日

今日は本当に何もしていない買い物に行っただけ。

だんだん日記を書くのが面倒になってきたみたいです。

1995年4月12日

今日は少し早起きしてRoyal Tasman Botanical Gardensに行きました。

市内から2kmなんて書いてあったけどそんな距離ではありませんでした。

結局は2時間くらいかかったのではないでしょうか。

目的は日本庭園です。

が、30分もあれば周れる程度の公園で日本庭園も日本から譲られても

それを手入れしてくれる人がいないみたいで違ったものに感じました。

未だ、仕事もなくやりたい事も見つからず先の見えない不安がオイラを襲うのでした。

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04/14/2006

ホバートへ

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月7日

今日でタスマンハウスに来てから一週間が経った。

明日にはここを出てホバートに向かう。

昼から明日のチケットを買うためにレッドラインコーチのターミナルに行って来た。

先週タスマニアに到着した時にフェリーで同室だった男の子を見送った場所

なので直ぐに解ったがチケットを買い、出発時間や到着場所を把握するには

日本語ではないので少々戸惑う..........

明日の朝10時出発で24㌦と.........

この後モールのアウトドアショップでアルピニランタンを見つけ衝動買い

まだ、欲しい物は沢山あるけれど今の段階でこれ以上の荷物を移動させる

手段はないので帰る時にでもと自分を納得させタスマンハウスに戻った。

玄関の所で日本人が自転車でタスマニアを回るといい、自転車を購入した

らしく、”いい自転車ね~”とみなが交互に乗っていた。

ここで最後に、タスマンハウスの長女が登場!

お母さんもだが彼女はそれ以上に太っていて自転車のタイヤが

かなり細く見える。

タスマンハウスの道路までは少し急なスロープになっていて

その40m位の距離を駆け上がり、一気に下ってきた。

WAOOOOOOOOOO!!

と言う叫び声!が悲鳴に変わったのにはオイラでも解った。

NOOOOOOOOOOOO~~

と悲鳴を上げながら長女は壁に激突した。

ブレーキが利かなかったのは感じ取れたがスピードが出すぎていて

誰もどうする事も出来なかった。

母親が叫ぶ。

Oh,My God!!

鈍い音がした。

そして、彼女が地面に倒れ込んだ。

直ぐに救急車が呼ばれ運ばれていった。

夕方、状態を聞いてみたら腰あたりの骨が折れたとの事だが

頭とかは打たなくて大丈夫だった。

一昨日が誕生日だったのに彼女はしばらくベットの生活になるらしい。

1995年4月8日

朝、7時からパッキングを開始するも荷物が多すぎてうまくパッキング出来ず

出発出来たのが9時だった。

一緒に海で石拾いした女の子も同じ日に旅立った。

後、一週間前後で海で溺れて亡くなった男の子に携わった全ての人間が

旅立つと言う。

歩いてギリギリだったが何とか出発前に到着した。

バスに乗車するも当たり前だが今度こそ日本人が居ない事を確認する。

確かに外人しかいないようだ。

ふむ。

しかしそれはそれで少し心細かったりもする。

途中でも色々な所に止まり、人が乗り降りする。

時には小学生とかが通勤バスも兼ねてる様な事もあった。

それでも風景は同じ様な農場ばかりが続いていたが四時間後無事に

ホバートに着いた。

バックパッカーを探すとこのバスセンターの上にあるという。

”トランジットセンターバックパッカー”

値段を聞いたら一泊12㌦というのでとりあえず一週間の予定で

お金を払った。

早速ホバートの港に行って見る。

Hobart131 これがクレイドルマウンテンをバックに写した

ホバートの港だ。

なんか、ヨーロッパ調の感じでかっこいい舟が沢山停泊していた。

宿に戻ると日本人の女の子が二人いた。

色々と、情報などを聞いたりしたがよく理解できないオイラでした。

この先、オイラがトランジットバックパッカーと深い関わりを持つなんて.......

思ってもいないオイラでした。

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04/13/2006

相変わらずタスマンハウスで

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月5日

今日は朝一番に友達になれた男の子を見送った。

その後でまた散策に出かけました。

少し、遠い所にもう一つバックパッカーがあるというので

行って来ましたが、人が全然いませんでした。

オーストラリアの道路沿いは殆どが牧場だし、よく見ると木々は

殆どがユウカリの種のようです。

道を歩いていると牛や羊がオイラをジッと見てくるので

なんか歩きにくいです。

タスマンハウスに戻ると部屋にオイラ以外の荷物がある。

しかし部屋には誰もいないのでとりあえず夕食の支度をしに行く。

再び材料を取りに戻ると外人がいた。

挨拶を交わして夕食の支度に戻る。

ご飯を食べ終わるころリビングではいつものように皆が集まる。

元が病院らしく夜は少し怖いせいなのか殆どの人がここにいる。

オイラが一番の苦手としているのは幽霊なんだけど

ここは外国思ってるし、ヤナギの木がたとえあっても

着物を着た幽霊が日本からわざわざ来る訳もないと

考えるとまったくと言って良いほど怖くない。

これも不思議な事だと思っちゃったりもしている。

さてさて、リビングに居ると同室の外人が話しかけてきた。

あだ名が”ラッキー”だそうだ。

なんでも、ニュージーランドで3000ドルの宝くじに当たりオーストラリアを

旅してるらしい。

だからみんなからラッキーと呼ばれていると言っていた。

思ったよりもナイスガイでニュージーランドの動物の話や世界中の動物の

話などをしてくれた。

その中のお話を一つ。

ニュージーランドには蛇がいないらしい。

だからキウイは地面に住むようになったらしいとか......

ちなみにニュージランド人の事はキウイとかニュージーランダーとかという。

彼は明日、旅立ちフルーツピッキングの仕事に就くという。

それでしばらくお金を稼ぐらしい。

オイラも連れてって~と頼みたかったが急だし甘えてるような気がしたので

止めた。

色々な話をしているうちにリビングにはオイラとラッキーだけになっていて

時計は午前2時を回っていたので寝る事に。

とりあえずもし日本に来た時には連絡してねと言っておいた。

1995年4月6日

朝起きると、ラッキーは居なかった。

ああ......

シドニーでも旅立ちを見送れなかったチャリダーがいたが

ここでも折角仲良くなったニュージーランダーを見送る事が出来なかった。

ふぅ。

なんてため息のあと2度寝していたら.......

誰かが突付くので目が覚めた。

うう??

すると目の前にラッキーが居た。

拳を目の前にだし中から皮細工のキーホルダーを出しオイラに差し出した。

オイラも何か無いかと探した挙句、耳掃除が大好きなオイラは外国に耳掻きが

無い事を知っていたので沢山持っていたのでそれをプレゼントした。

なんとラッキーはオイラを起こさないように別室でパッキングしていたのだった。

こうしてオイラはラッキーを無事見送る事が出来た。

オイラも彼の年にはラッキーのようなナイスガイになりたいと思った。

と日記には書いてあるしその年をオイラは過ぎたのだけど

果たして25前後の青年から見て今のオイラはどうなのだろう。

自分ではまだまだだなぁ~と思っているが。

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オイラをHEROにしてあげる

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04/07/2006

1995年3月31日から4月4日まで

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年3月31日

この辺りから日記の内容が乱雑になってきた。

今日は一日雨だとある。

何もやる事がないので一日中タスマンハウスにいた。

日記を英語で書いてみるも単語のスペルを確認しながら

文を組み立てていくうちに何が何だか書きたいものを見失う。

他のパッカーも今日はさすがに行く所がないらしい。

オイラと同じ様にリビングで過ごす。

考えてみたら何処にも行かなかったのってオーストラリアに来てから

初めてかもしれないな。

1995年4月1日雨。

朝起きると今日も

オイラが出かけられないのにも理由がある。

このタスマンハウスからモールまで歩いて30分はかかるからだ。

そんな訳でまた今日もリビングで英語を勉強していた。

日本人がいるのだが何故だかオイラとは会話がない。

何もしていないのに嫌われてるような~

ま、もう直ぐホバートに行くから関係はないのだけどね。

ふぅ。

1995年4月2日

今日は昨日と違い好天。

折角一週間も滞在するってのにここに来てからモール以外に

何処にも行っていない。

なので色々今日は散歩するつもりだったが食料を買いに行くのが

先決で冷蔵庫に荷物を納めてからでないと散歩も出来ないので

それにしても遠いなあ。

オイラってば何がしたいんだか。

仕事の方はホバートに行ってからとしてもなんだか納得のいかない

日々を送っている。

Debonumi132 これがデボンポートの海。

とても綺麗なんだけど牡蠣を探しに来たんだけど

本当にここなのだろうか??

地球の歩き方”によるとここなのだが.......

まぁ、明日でもいいか。

1995年4月3日

今日は3ヶ月前からタスマンハウスに居るという女の子と

海の辺りを二人で散歩した。

他の日本人はともかく彼女はオイラと普通に会話できる。

Debonumi131

ここで牡蠣が捕れるらしい。

しかし、彼女の口からでた言葉は.....

なんでも3ヶ月位前にここの海で

日本人が溺れて亡くなったという。

なんだか聞いた話だ。

詳しく聞いてみるとみんなでここに来て泳いでいるうちに

男の子が一人溺れたらしい。

その時彼女もここに一緒に来た一人だという。

その時いた仲間がその事があったために一人もここを

離れられずに居るという。

だからオイラに向けられる視線が冷たく感じたのだろう。

何時までも引きずっているのか............

しかし、仕方ないかもなぁ........

でもさ、それにしても事情をしらなくて、このタスマンハウスに来た人は

どうだろう。

みな、俺のように冷たい視線を感じここを去っていくのだろう。

オイラは理由を知る事が出来たが......

しかし、彼女もやっと気持ちに整理が付いたのでここを出て行くという。

そうだよなぁ、折角のワーキングホリデーでいつまでもこのままじゃね。

がんばってな!

”うん!”

て訳でさすがのオイラもここの牡蠣を食べる気になれず二人で

綺麗な石拾いをしてタスマンハウスに戻った。

1995年4月4日

今日は友達になった男の子にアドバイスを受けて銀行通帳を

作りに行った。

Bank131 実際にカードを受け取ったのは6月なので

この時にはありませんでしたが。

未だにオイラのお宝です。

これにて現金をトラベラーズチェックからすべて通帳に入金して

使うようにします。

これで少し安心が増えました。

それから一番ツンツンしてた女の子にオイラの考えをぶつけてやりました。

旅をするものとして旅人を迎え入れる姿勢と迎えられる側の姿勢

一期一会、オイラだって生涯にもう会える事はない友達なんて

凄い沢山いる。

でも、今後はオイラのように人を不快にさせるのは止めてあげてと。

それからおせっかいではあるがここを旅立てと。

どうせビザの期限が近づけば最後は日本に帰るのだからね。

ま、確かに悲しいだろうけどなぁ。

オイラみたいな人間が言わないと誰も言いいだそうとはしていない

見たいなのでオイラが言ってやった。

余計なお世話だけどさ、多分オイラも同じ事あったら同じようになる

側の人間だから解るんだよ。

部屋に戻ってからあ~~あまた余計な事言っちゃったな。

性分だからしょうがないけどさ。

なんて部屋に戻っても一人きりのオイラ.....

オイラの事も誰か慰めてくれよ~~

ふぅ。

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04/05/2006

タスマニア

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年3月30日

Melu139 これは出向前の舟からメルボルンを見た

写真です。

今の時代ならデジカメでもっと沢山写真が写せたと思うと....

さてさて

朝、目が覚めるとタスマニアに着いていた。

すでに同室だった外人さん達はすでに居なかった。

でも、日本人の彼はまだ居て一緒に舟から降りた。

スピリットオブタスマニアは運河のような場所に接岸したが

オイラが向かう場所は反対側の波止場で彼もそちらに行くらしいので

ふたりで対岸に渡る船に乗る。

渡ってから歩いて少しの場所にあるレッドラインコーチのバスの

発着場に行く。

彼はここからホバートに直接行くというのでここでさよならした。

写真がないのでどうにも彼の顔が思い出せないのが残念であるが.......

で、オイラはデボンポートにあるタスマンハウスに向かう事に。

しかし、ここから結構な距離があるそうなので、どうせ買い物も

しなくてはならないのでモールで買い物をする事に。

Tasu131_1

とりあえず2~3日の予定で滞在するつもり

なので、お米や卵、今日はステーキ(Tボーン)と言われる

牛の骨付きステーキを買った。

野菜も摂りたいのでキャベツやニンジンや玉ねぎなどを買う。

しばらくボ~ッとしていたがそろそろ宿に向かう。

もう一度地図を見直しているとなんと無料でピックアップしてくれると

書いてあるのに気付き、つたない英語で迎えに来てくれと頼んだら

気持ちよくこのホステルのオーナーの奥様が迎えに来てくれた。

凄く優しい感じの人で車の中で色々会話をした。

何でも近くの海で日本人が海で溺れて死んだと言っていた。

へぇ~~。

そう言えばこの近くの海では天然の牡蠣が沢山取れると

地球の歩き方に書いてあったなぁ。

そんな会話にもならない会話をしているとタスマンハウスに到着する。

昔は病院でそれを現オーナーが買い取りバックパッカーとして

運営しているらしい。

とりあえずと言うか連泊すると安いと奥さんが言うし、オイラは

急いでいないので一週間とまる事に。

確か、一週間の連泊だと10ドルくらいだったと記憶しているが....

確かに元病院らしく病棟の様に部屋が作られている。

なので、基本的には一部屋でベット二つの作りで開放感があり

目の前は日当たりのいい庭になっているので気分はいい。

キッチンも大きくはないがそこそこ使えそうな感じがする。

ここにもやはり日本人がいた。

不思議と自炊をするのは日本人が多くて外人が少ない。

金を持ってる人種ほど堅実なのか??

それともそれだけ日本人には仕事がなく限られた財布で期間を過ごさなければ

生活出来ないからだろうか。

今日はこの部屋にはオイラが一人だけ.....

シャワールームにはバスがあり久しぶりに湯船に浸かって見る事が

出来た。

いつものように飯盒でご飯を炊きステーキを食べた。

リビングには暖炉があり薪をくべる。

ここのリビングは広くて各々が好きな事をしている。

オイラもその一人であるけど会話する相手がいないとは

寂しいでした。

ふと思い出した。

食事した時にスプーンとフォークとナイフを洗い部屋に持ち帰っていない事に

気付く.........が、やはりもう無くなっていた。

これは東京にある登山用品の石井から取り寄せたチタン製の物で

当時3500円したもので、今回オーストラリアで初めてのステーキで

使えたのに最初で最後になってしまった。

シドニーではMA1 をここではチタン製のナイフセットをと......

全然教訓が活かされないオイラのタスマニア最初の夜でした。

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04/01/2006

タスマニアに向けて

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年3月29日

10時までにチェックアウトしなければならないし、それまでに

荷物をまとめたり必要なものをCITYまで買いに行かなければ

ならないので早く起きた。

まずは、人を起こさないように昨日、パッキング出来なかった

荷物をバックパックに詰めた。

それでも、生活期間が長くなるにつれて必要なものを買い足した

おかげでどんどん荷物が増える。

そのくせ要らない物がないのがオイラ流。

バックパックだけでも30kg以上はあるだろう。

残りの荷物はシドニーで買ったキャリアカートで引っ張り持ち歩く。

皆が起きる頃にはパッキングも終わっていた。

買い物はフェリーの中で食べる物やこれから寒くなるらしいので

衣類などを買った。

ついでに大丸デパートに寄ってみて驚いた。

普通に日本食が売ってる。

オーストラリアのマヨネーズはキューピーとは似ても似つかない味

なので久しぶりにキューピーを買おうと思ったがレギュラーサイズが

なんと12㌦もするので諦めた。

予定どうりに10時にチェックアウトをする。

博多モンとクインズベリーYHAの玄関で記念撮影をする。

Kinensatuei131 まあ、十年前とはいえ女性が映っていますので

小さめにUPいたします。

左から博多者と福井県の子とオイラです。

Kinensatuei132 彼は憶えていますが名前が一致しません。

ちなみにかぶっているカウボーイハットは

ビクトリアマーケットで50㌦で購入しました。

とても欲しかった割りに似合ってはいません。

こうしてオイラは一人旅立った。

フェリー乗り場に着くとスピリットオブタスマニアのフェリーがすでに

停泊していた。

乗船して船室に行くと何故だか同じ部屋に日本人がいた。

他には日本人は見当たらなく外人ばかりなのに

何故、同じ部屋になったのかは不思議であるが

オイラの中で彼と会話をした記憶がない。

荷物を置いてフェリーの中を散策。

ビリヤードやカジノやフードショップ、レストランなどなど..

ついつい博打心を持ち合わせたオイラは早速カジノへ~

とりあえずスロットルをやる。

現金がそのまま出るのにはビビる。

日本のスロットルもそのまま100円とかが出てきたら

かなりビビるのだろうなぁ。

なんてニヤニヤしながらやってたら78㌦もやられた。

くぅ~~

もうやめよう...............

あたりもすっかり暗くなってきてしばらくしたら汽笛がなる。

甲板にでて見送る人もいないのだけど手を振る..

夜のメルボルンの明かりをみると急に寂しさが込み上げてきた。

ビリヤードでもと行くと.....玉がコロコロと転がり、とまる事がないので

みなが笑いながら手で玉を穴に入れて気が付いたら誰も居なかった。

その後はやはりバーでビールを飲みたそがれるオイラ........

船室に戻るとみんな寝ていた。

ふぅ。

タスマニアに行く事は正解なのだろうか?

それとも...........兎に角今は仕事を見つける事が先決だ。

フルーツピッキングでもなんでもいいや........

舟が大きく揺れる中そんな事を考えて居るうちに寝ていた......

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03/29/2006

ダブルブッキング

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年3月28日

もともとタスマニアに行くつもりだったのだけど

毎夜、博多モンの話を聞くうちにどうしても行きたい場所になった。

ここのユースホステルは昼間の間、ツアー会社が入っているので

直接、切符の予約も出来るのでお昼頃にタスマニア行きの船の予約をする。

後でお金を払い切符交換してもらえる券を発行してもらえるらしい。

じゃ、後で..........

少し、買い物などをしたかったのでまた、博多モンとレンタル自転車で

市内をツーリング。

ユースからメルボルンの繁華街まで坂が続く........

二人で快調に飛ばしていると.......

ブチン...とオイラの自転車のブレーキワイヤーが切れた

わぁ~~~~

この自転車はもともとフロントブレーキしか付いていないので

これが切れると後がないトラムが目の前に迫った時、偶然に

ペダルを後ろ回しにしたらそこでブレーキが利いた。

知ってはいたが突然にブレーキのワイヤーが切れたので

焦ってパニクリ、リアブレーキが思い浮かばなかった。

ので偶然だが難を逃れた。

少々、ビビリのオイラは自転車を引きずり、買い物だけを済まし

ユースに戻った。

もう、早めにと舟のお金を払いに行くと........

すんなり終わった後で呼び出し放送がなる....

オイラの名前を読んでる~~~??

ので言ってみると....

同じ名前の人が予約していますだって~~~?

よくよく聞いてみると朝予約したオイラを別人と思い次の予約を入れたそうな。

オイラも朝にあれだけ話した相手なのでオイラの事を憶えてると思って

安心していたのがいけなかった。

つまりは違った意味でダブルブッキングしてしまったようだ。

ま、早い段階だったので問題は起きなかったのが良かった。

そんな話をエサにまた夜の酒場で博多モンとまた一杯飲んで

夜が更けていくのでありました。

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生まれた日

1955年オーストラリア旅行TOPへ

1995年3月27日

やはりこのユースホステルいい。

朝の光も程よく入り目覚めが気持ちいい。

今日は、博多モンとヤラ川を渡りSt.Kilda(セントギルダ)に行き

ギャラリーやら歓楽街を見て周った。

男二人だしオイラはレンタル自転車で博多モンは自分の自転車なので

どうも調子が悪い。

女の子とでも居ればいいのだけどねぇ~~。

ま、オイラも自転車でオーストラリアを周る夢があるので

自転車は欲しい所だが、旅が始まらないと必要ないので今は我慢。

夜は今日も自炊した。

久しぶりの飯盒だがもうすでに旨い米が炊けれるようになった。

ただ、問題がある。

どうも、おかしいと思ったら卵やらベーコンやらお米やらを

もって行くやつがいる。

お米ならともかく部屋に持っていく事が出来ないものは正直言うと

取り合いだ。

オイラも子供ではないけど初め卵とお米をゴッソリやられた時には

やり返した。

けど、犯人も解らないしこれではオイラも盗人なので次からは小さなダンボールに

全てを梱包して名前を目立つように日本語と英語で書いた。

皆に聞くとやはり同じ様にたまに持っていかれるという。

なので料理はなるだけ人より先に作り始めるといい。

ま、どれだけ完璧にしても盗まれるには代わりはないのだが。

ご飯を食べてからはどうも気が合う博多者と飲みに行ってしまう。

また、今日もビールで乾杯をするが今日はちと違う酒だ。

実はオイラの生まれた日なのだ。

う~~~ん。

異国で誕生日かぁ~

なんかいいなぁ~

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03/26/2006

ホッとしている。

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1995年3月26日

ここのクイーンズベリーヒルはオイラがオーストラリアに来てから

二つ目の宿なのだがなんだか非常に落ち着く。

まず、入り口には車椅子用のスロープもあり、ビリヤードもあり

リビングが無茶苦茶広いし、調理場も広い、部屋のカラーも綺麗だし

シャワールームも広くて綺麗。

今の今までこれ以上のユースホステルは見たことがないくらいいいです。

今日は昨日の疲れから布団から出る気力もなくボーッとしてたら

掃除の人から起きろと言われ起きた。

この掃除などを請け負う事で宿泊料金も安くなったりもする。

今日からは自炊、早速、調理場に行き調理器具をチェック。

おお..ここには欲しい物がなんでもある。

中華なべまである。

へぇ~~。

冷蔵庫もかなりでかくて見やすくなっているので自分の物が何処にあるのかも

非常に探しやすい作りになっている。

いいね~~~

入り口の所の喫煙所でタバコをふかしていると自転車野郎が来た。

聞いてみるとタスマニアを自転車で周ってきたらしい。

チェックインと荷物の整理をしたいからと言うので夜また会う約束をした。

オイラはというと買い物に出かける。

何でもビクトリアマーケットなるでかい市場が近くにあるそうなので

そこに行く。

meruborunsinai131 これがCITY MAPチョット見にくいかなぁ

碁盤の目になっている所が中心地です。

ビクトリアマーケットはピンクで色を塗りました。

それにしてもデカイです。

食べ物だけでなくて色々面白いものが豊富に売っている。

説明するよりコチラを見たほうが解りやすい。

しかし、意外とオイラの好む食材はチャイナマーケットにあった。

非常に小さいながらキムチや卵にお米などなど....

お米はサンライスの赤い袋を買った。

こちらは短粒種で青が長粒種なので赤い方を選ぶ。

ジャガイモなどは10kg単位で売っているしベーコンやお肉でも

必ず”ハウメニィーキロ~~?”

何キロと聞かれオイラは300gという。

かみ合わない会話。

この時はビクトリアマーケットが土日しかやってないとは知らなかったので

明日にでもこればいいので今日はユースに帰ることに。

ふぅ。

オイラの計画ではしばらくは言葉覚えたり少し仕事したりしてオーストラリアを

知り、それから自転車で周る予定ではいたので飯盒やテントなどの装備は

いつも兼ね備えているので飯盒で早速ご飯を炊く。

夕食を作り始めた頃には日本人が沢山居た。

逆に外国人はあまり自炊しないようでベジタリアンの人だけがブロッコリーや

マッシュルームを茹でてるだけみたいな感じです。

他の日本人はどうやってお米を炊くのか見ていると鍋はあるものの蓋が何故

かないので変わりにお皿を載せている。

一見陶器なので蓋の代わりになるのかと思いきや、沸騰すると出る泡が

密閉度を高めるようで慣れて来ると旨い米が炊けるようになるらしい。

これは多分、昔から外国に来てた人たちから伝わり続けているのだろう。

しかし、オイラのように飯盒の方が鍋や場所を選ばないので都合が良いと

思うのだが....

夜は、昼間の博多出身の自転車野郎と合流し、タスマニアについて

色々教わった。

早くいきて~な~~タスマニア。

何故だかここに来てオイラはホッとしている。

それからやっぱり日付が狂ってると思っていたら

カメラの日にちが一日ズレていたようだ。

これがオイラが初めて見たメルボルンです。

MECITY131 今は無き大丸デパートが見えます。

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03/25/2006

メルボルン

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1995年3月25日

少しだけカーテンを開けてもうっすら見える風景はいつも同じ。

道路が続くだけ農場の柵も続く。

たまにバスが止まる。

そのたびに人が乗る事を考えると予約して場所を指定されて

そこでピックアップしてもらえるようだ。

一度、夜中にレストランで止まった。

一時間の休憩のようだ。

みながレストランになだれ込む。

オイラもその一人。

お腹も一杯になる頃、いつの間にか寝てしまい夢を見ていた。

夢の中ではいつも日本で目が覚めると.......

また目を瞑り寝る。

朝の7時に到着した。

シドニーとメルボルンでは1時間の時差があるのでここで調整。

ふむぅ。

それだけでかいのだなぁ。

ちなみに日本との時差は三時間なので電話を掛けたりしても

あまり不自由は感じない。

朝も早いし天気もいいので街中を走るトラム(路面電車)には

乗らず歩いていく事に。

これが失敗だった。

どれだけ歩いても到着しない。

それどころか現在地も解らなくなった。

散歩してる人達に聞きながらすでに3時間くらいは歩いている。

ふぅ。

最後に道を聞いた人は親切にもクインズベリーヒルYHAのユースホステルまで

オイラを連れて行ってくれた。

ありがとう....

直ぐにチェックインして水分補給。

日本みたいに気軽に自販機やコンビニなどがホントに無い。

なのに酒場がどうしてこうも多いし昼間からやってるかは解らない。

お酒は外では法律的に飲めないとは聞いたけど。

飲んでる人は必ず紙袋にまいたままお酒の絵柄が見えないように呑む。

それはともかく.....ここのユースは綺麗だし何よりリビングがデカイのがいいね。

8人部屋に落ち着き一寝入り。

しかし、貴重品その他は秘密の場所に。

にしても疲れたなぁ~

しかし、今日からは自炊なのだけれど、今日まで外食にしよう。

な訳で夜は一人でメルボルンの酒場で一杯飲んでよその国に

一人出来たなんて余韻に浸りながら

VB(オーストラリアでは有名なビール)を呑むオイラだった。

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03/24/2006

不安。

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1995年3月24日

今日は、朝から忙しかった。

昨日、予約をいれたバス会社に行き料金を支払いに行かなければ

予約(ブッキング)完了とならない。

外国に行くとこのダブった予約をよくされる。

これは、予約をしたにもかかわらず時間までにもう一度確認を

しない人を自動的にキャンセルに導くためで、キャンセルされた

人が予定どうりに来てしまうとダブルブッキングなる問題が

たまに起きる。

なので予約の際は必ずReconfirmationを必ずする。

普通のツアーの場合は旅行会社が代理でやってくれているので気が付かない

ですが必ずしています。

そんな事を聞かされていたのでチケット交換するために確実にお金を払いに行く。

ユースホステルのチェックアウトの時間が10時なので荷物の整理や

チェックアウトをしてからの荷物の保管場所の確保など色々やる事がある。

少し、慣れたこの部屋とこの町から離れる事はオイラにとっては

日本を出国した時と同じ不安が過ぎる。

でも、ここにずっと居る訳にもいかないので........

出発突然の事。

チェックアウトした部屋に忘れ物をした事に気付く。

部屋はもともとシェアルームとかドミトリールームなどと言って色々な国から

来た人が適当に入れられる。

当然といえば当然なのだがやはりオイラのMA1のジャケットは

消えていた。

そうなると無性に寂しさがこみ上げてくる。

旅立ちの時に友達から貰ったものだったのにぃ.....

しかし、そんな事ではクヨクヨしていられないし、この次に気を付ければと

前向きにユースホステルを旅立った。

昨日から友達になり色々教えてくれた男の子がバスの発着場まで

見送ってくれた........

日記には和歌山から来た男の子だと書かれているが.......

少しうつむいて考えているとなんとなく思い出していくが...

やはりそれは10年前の事だと思わされる。

さぁ.......出発だぁ。

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03/23/2006

とりあえずメルボルン

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1995年3月23日

昨日一日考えて出た結論はタスマニアだった。

これから寒くなるとタスマニアではフルーツピッキングがあるらしい。

簡単に言えば林檎の収穫などの仕事が得られるらしい。

色々調べてみると、直接、タスマニアのロンセストンに直接飛行機で

行く事も出来るし、メルボルンまでバスで移動してそこからSPIRIT of TASMANIA名の

フェリーで行く事も出来る。

結局は値段で後者のとりあえずメルボルンコースにした。

出発時間は夜の7時。

今日中に予約をして明日の夜旅立つ。

バス会社を探し、予約を完了する。

夜に出発して朝に到着する。

シドニーからメルボルンと言っても1000kmくらいの距離がある。

そんな距離のバスに乗った事無いので少々不安。

すべて禁煙らしいし食事休憩以外のタバコはだめみたい。

トホホ

夜は、また友達になった日本人とバーに飲みに行った。

しかし、この先の予定を考えると金銭的にそろそろ計算して

やっていかないとだめなのでメルボルンに行ったら自炊する事に

した。

とうとう明日の夜、シドニーを離れる.......

tizu131 シドニー~メルボルン~タスマニアへ

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03/22/2006

ユースホステル事務所

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1995年3月21日

19日の日記にこんな大切な事を書き忘れていた。

朝、出発を見送ると約束していたテントに三菱のマークを入れた

四国出身のサイクリストを約束の時間に起きれずに見送れなかった。

ただ、見送れた子にオイラに宜しく言っておいてくれと言葉を残し出発したと。

ああ、申し訳ない事をした。

彼はすでに自分の足でオーストラリアを走り始めたのだ。

オイラもがんばらねば...................

さて改めて21日

誰も居なくなってもさすがはシドニー。

次から次にいろんな国から色々な人が来る。

ユースホステルの屋上に初めて上がるとプールがあった。

ふと、見るとトップレスの美女が居た。

みなが見ている。

しばらくするとその美女の友達があわてて何かを言ったら

直ぐに服を着た。

彼女はオージーではなくて旅行者のようだ。

恐らく友達にこのような事でも言われたのだろう.....

この多国籍のユースホステルのプールで裸になるなんて

男子トイレで裸になるようなものよ......

なんて.....言われるわけないよね。

ま、ともあれ何事もなかって何よりです。

それよりオイラ、行き場所もないままではと

ワーキングホリデー事務所に行ってみた。

しかし、登録料を支払わないと利用できないと言うので

とりあえず登録してみた。

色々、住む所や仕事先などを紹介してくれるシステムなのだが

シドニーを離れると利用価値が無い事を後から知る。

意味の無い事をし続けるオイラ..............

翌日の日記にはこれだけが残されている。

1995年3月22日

今日はユースホステルに一日居て、色々考え事をしていたと.............

この一行だけなので何を考えていたのか、今となっては解りません。

そうそう大切な事を思い出しました。

オイラは阪神大震災の時は日本にいたのでオーストラリアに入ってから

外人やら日本人やらに今の日本を根掘り葉掘り聞かれ続けた事を思い出します。

その後、オイラが入国してからオウム真理教の事件がオーストラリアに届いた時に

オイラも日本人に同じように根掘りは掘り質問攻めにした事を憶えています。

みな、国に残した家族や友人の事を心配するのですね.

さてこの先オイラは何処に行くのだろう....................

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03/20/2006

ブルーマウンテン

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1995年 3月20日

ブルーマウンテンに行く人はすでにユースホステルの前で

待機しているにもかかわらず出発の時間を10分も過ぎている。

これがいわゆるアバウトという事らしい。

日本にはあまりない習慣と申しますか。

ちなみにこのツアーは43㌦で5000円弱でしょうか。

もちろん日本のツアーみたいにご飯なんかは出ませんが。

オイラも誘われるままにツアーに参加したのでブルーマウンテンが

何やらも知りませんでした。

到着して解ったんですが要は規模の小さいグランドキャニオンぽいというか

日本にも探せばあるかもしれません。

で、歩くコースがありもちろん自分で決めるのですが長いので確か6時間とか...

オイラ達は適当に3時間を選びましたが........

burutua133

このTシャツに滴る汗が解るでしょうか。

すでに立ち上がる事が出来ないくらいに

足がガクガクしたのを憶えています。

ちなみに日記には3月20日になっていますが

これはなぜだか1995年の19日になってますが

オイラには解りません。

このような所要時間やらに関しては日本とは逆でとても3時間で回れるよな距離

ではありませんでした。

途中の風景です。

burutua131 burutua132

これが有名なスリーシスターズです。

でも世界中にスリーシスターズって

沢山ありますね。

burutua134 この写真だって誰に写してもらったのかさえ

今となっては思い出せません。

それぐらいこのオーストラリアで色々な人と出合ったのです。

今日、出合った人が明日には旅立ちオイラだけが此処にいるようで

早く何処かに旅立ちたいのだけど何故だか足が重く先立てないのです。

でもこのままでは..........

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03/19/2006

市内を回る

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1995年3月19日

日記にはこう書いてある。

朝、タバコを吸いにロビーに下りたら日本人の女の子に

今日来たばかりだから市内を回りに行きたいので一緒に回りませんかと。

う~ん。

こんな事があったかどうか思い出せないけど書いてあるからあったんですね。

思い出せないのが情けないです。

で、結局、市内観光してチャイナタウンで韓国焼肉定食を食べました。

それからダーリングハーバーやマーケットなどに行った。

でも、買った物はタバコだけと書いてある。

ふむぅ。

それから夜はタイ料理を食べに行ったらしい。

それも、この女の子と行ったのかどうかも不明。

ただ、凄いまずかったと書いてありました。

明日はブルーマウンテンに~

う、微かに記憶が蘇る様なぁ~。

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03/18/2006

ボンダイビーチ

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1995年3月18日

朝起きて予定どうりにみんな集まり、レンタカー所有の子と

みんなでボンダイビーチに向かった。

市内を抜けると30分くらいで到着しただろうか。

丁度ライフセーバーの大会が行われているようだ。

オイラ達は水着に着替えるわけでもなくマットを敷いて

体操座りをして大会のもようを見ている。

しばらくすると大変な事が起きた。

大会が終わるとみなが一斉に体を焼き始めた。

しかも女性がオイラ達の前で平然と脱ぎ始めるではないか。

あうあううあうあうあううあう!?

まじで~

すげ~

ドキドキしながら横目で見る。

カメラカメラと誰かが写していたがオイラにはその余裕も無かった。

だって写真とっても現像してもらえないだろうと日本感覚でいたから

無駄だと思い、せめてこの目に焼き付けようと.......

しかし、それもしばらくすると慣れてくるのだ。

挙句は好みの女性が来るのを見つけ、心の中で叫ぶ。

脱げ脱げ脱げ.......

やったぁ~

と、こん身のガッツポーズ。

オイラ達はこんな程度で何しにボンダイビーチに来たのかも

忘れたが日本では味わえない経験が増えた。

その夜は三菱のサイクリストが明日出発するというし、他の人たちも

移動すると言うのでみんなでインド料理屋に行った。

ここのカレーは本当に美味しかった。

もう少し安かったら毎日来るだろう。

それからバーに行きビリヤードでオージー対日本人の戦いになり

オイラ達が勝った。

その時初めて8ボールと言うゲームを知った。

逆にオーストラリアでは9ボールをやる人間がまずいなくて

8ボールが主流なのであり、何処のバーにもほとんどに近い割合で

ビリヤードがある。

それからそのオージー達に誕生パーティーに誘われ近くに家に招待され

映画みたいなパーティーで大人数で酒を飲んだ。

こうして夜は更けていくのだが..........

オイラ以外ここを離れてオイラだけが未だ行き先のないままだった。

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03/17/2006

シドニー

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1995年3月17日

少しは眠れただろうか。

ふと外を見ると真っ暗で飛行機が飛んでいるという基準にするものも見えず

エンジンの音はするものの何処かにぶら下がっている様な感覚。

しかしそれも夜明けとともに足元に現れた。

多分これがオーストラリア大陸だろう。

シドニーは一番下の大都市なのでオーストラリア上空になってからも

何時間も飛び続ける。

本当にでかい。

到着予定時刻も近づく頃入国審査表に必要な事を記載しなければならない。

しかも、これが全て英語なんだから何が何だか解らない。

しかし、これは同じ列のワイン輸入業者の人が教えてくれたので

事なきを得た。

その人が下を見てごらんと言うので見ると.............

あのテレビでは何回も見たことのあるオペラハウスが見える........

あっ!.......................

シドニーだ!!

とうとう来た。

夢にまで見た国..............

uu                                                                                                                                                           

入国審査も二度目ともなると意外とスムーズで入国審査官も

オージーらしく笑顔で迎えてくれた。

Welcome to Australia!

この言葉にどれだけ感動したか。

うう

ふと周りを見ると日本人の男の子が入国審査で別室に連れて行かれている。

う~ん。

どうする事も出来ないのでこころのなかでがんばれよと。

さぁ............オイラの旅の始まりだ!

飛行場を出たときの空の青さを今でもハッキリと憶えている。

日本の空とは比べ物にならないくらいの青。

オイラの心は有頂天........なんだけど

今日のとまる所も行く場所も決めていない。

ああ~。

もっとキチンと調べてくるんだった。

とにかく中学高校と英語をサボった事を今後悔しても仕方ないのだが

クゥ~

結局、ユースホステルに泊まる事にした。

理由は地球の歩き方に載っていたから。

Door to doorで確か5㌦だったと記憶している。

ワゴン車での乗車だがなぜかお客さんはオイラ一人。

青い空は続く。

何処を見ても新鮮。

ふと聞こえたラジオからは”~ダイ”また”ダイ”とヒヤリングの

だめなオイラにも聞こえてきた。

人がよく死ぬ国だなぁ...........uu

後から直ぐに解ったがそれはDieではなくてDayの発音だった。

ユースホステルにチェックインをして近くの町をクルクル回り

見たこともないデカイハンバーガーをパクついたのを憶えている。

オイラの日記にはこう書いてある。

空の青さと広大な大地とまぶしすぎる太陽が

不安だったオイラを小さく見せた。

これから何が待っているのか解らないが

今、初めて自分の道の上にいる。

うう、今のオイラならこんな事言わないけど言ったんですね。

さてこの夕方になると結構日本人が居る事が判明。

色々な事を教えてもらう。

外に出ると自転車を組み立てている人がいるので

話を聞いてみるとオーストラリアを自転車で一周すると言う。

あ、よく見たら飛行場で入国審査で別室に連れて行かれた.....?

そう。

理由を聞いてみるとこうだ。

彼は年齢制限をクリアーできずにワーキングホリデーのビザを取得する

事が出来ずに変わりに観光ビザで入ってきて自転車を持っているものだから

どうするのかと聞かれオーストラリアを一周すると言ったらしい。

で、審査する人がオーストラリアを一周するのにこのビザでは日にちが足らないと

判断されたらしい。

(と、聞いた記憶があるが定かではないので半分に聞いてください。)

オーストラリアを一周するんだねぇ?

へぇ~

オイラの目的と同じジャン。

同じはずなのに彼は自分のサイズに合わせた自転車を特注で

日本から持参して明後日に出発すると言う。

オイラとは全然姿勢が違いますね。

オイラなんか自転車も持ってこなかったしなんの準備もしてないよ....

彼は四国出身なのだが名古屋で三菱に勤めていてオーストラリアを

一周する為に会社を退社したらしい。

なのでテントに三菱のマークを付けたと自慢していた。

なぜかこういう人間の周りは男が集まりやすい。

明日はどうするの話をしていたら車持っている子がいたので

ボンダイビーチと言う所に行こうとなった。

オイラは別に海なんかどうでもよかったんだけどさ行って見る事にした。

本場のサーフィンでも見てきますかぁ。

それからみんなでバーに行った。

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03/16/2006

出発!!

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はじめに

1995年と言えば、あの歴史的大地震の阪神大震災が起き 

また、オウム真理教の東京地下鉄サリン事件の起きた年で

もあります。

オイラはこの年の前年にオーストラリア行きを決意した。

昔から放浪癖があり、神戸や福井や宮崎、名古屋などなど

色々な土地で生きていた。

ただ、常に一人。

家は名古屋に程近く、1994年は実家で生活していた。

何も変わらない毎日が嫌になっていたころ友達に誘われて

外人バーに行った。

外人バーは初めてだったのですがすぐに虜になり、一週間

に、3度くらいは通うようになった。

そうすると外人達とも友達になりその友達も色々増えていった。

中でもリースやドゥウェインとは特別に中のいい友達になった。

nakama151

そんな彼らが取得していたビザのシステムは

旅行をしながら働く事も出来るといった特別な

もの。

”ワーキングホリデー”

これを知ってしまって半年後にはその日を迎えるのです。

オーストラリア一人旅。

1995年3月16日

10年前の日記によると10年前の今日オイラはオーストラリアの

旅に出た。

前日の夜中の三時まで送別会がありほとんど眠れずに

朝を迎えた。

今日のように雨が降り、急に行きたくなくなっていた。

ただそれを飛行場まで送り届けてくれる家族に悟られないようにするのが

精一杯で極端に落ち込んでいたのを憶えている。

まさか初めての海外旅行が予定のない長期旅行を計画してしまうあたりは

オイラ的なので今さらながらに考えても不思議はないのだが、あの時も

一人で行きたかった理由は一人のほうがかっこいいと思っていたからで

今とは少々違います。

さて、出国審査も初めてで流れるままに並んでいたら家族とさよならする間もなく

お互いを見失い、気が付いたら飛行機の窓から濡れた滑走路を見ていた。

ただ飛行機はオイラの気持ちを無視するかのように灰色の空に飛び立った。

とりあえずの行き先は韓国である。

大韓航空の場合はとりあえずソウルに隣国の人を集めてそれからそれぞれ

世界中の目的地の飛行機に乗せて出発する。

なので待ち時間がかなり長い場合もありそれを考慮した市内無料観光なんて

いうのがあるのは知っていたのであらかじめ申し込んでおいた。

とりあえずは入国審査です。

その時は韓国の大統領帰国とかでかなり入国も厳しく至る所に警官が立っていて

初めて外国の地に点いたオイラにはとても怖かったってのが第一印象である。

オイラの日記にはこう書いてある。

家を出るときはもう怖かった。

やっぱり止めようかと思った。

飛行場でなんか、悲しかった。

飛行機の中でも不安だった。

ソウルに着いたらもっと不安になった。

そして、この先を考えると後悔した。

と。

市内ツアーでは覚えていないけど色々な所に連れて行ってもらい

焼肉屋さんにも連れて行ってもらった。

ここのお店は本当に美味しかった。

大統領官邸など色々な場所に連れて行って貰ったがあまり記憶に無い。

ただ、歩いている人やファッション、建物、看板に至るまで、書いてある看板の字や

車が左側通行以外は日本と変わりない印象でした。

でも、飛行場でも何処でもにんにく臭があり軍隊が身近でフル装備の小隊が

至る所にいてそれが不気味だった。

しかし、飛行場につく頃には前日からの二日酔いも覚め気が付くと晴れ間も

見えて不安も少しなくなっていた。

そして夜遅くにオーストラリアのシドニーに向けて飛行機は飛んだ。

tike131

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03/12/2006

10年経った。

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あれから10年経った。

万博開幕から一年たとうとして色々写真とかを整理していたら

10年前にオーストラリアに旅立った日と一日違いに気が付いた。

日記を見ていたら懐かしかったのでこれから書き写していこうと思う。

nituki1995

厚みがある割りに内容がないんだよなぁ。

誰にも見せた事がないけど..............

昔々の古いオイラのお話です。

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