09/20/2007

自転車旅行2日目

1995年オーストラリア旅行TOP

9月8日金曜日 曇り

今日は、バララットからアララット93km。

昨日よりは少ないけど筋肉痛になり途中で雨も降ったし明日は雨の予定で

一日お休みなり。

二日間走ったが、なんにもない、本当に何にもない。

アララットに付いた時、眠くて死にそうだった。

ま、明日は休みにして疲れをとって出直しだ。

ちなみに明後日はSTAWELLを通ってHORSYAMまでの96kmの予定。

また、死にそうになるぞ。

モーテル 1day 20㌦                        距離 96km

                                総走行距離 207km

S1987134 これがモーテルのベットのオイラ。

今はまだ寒い時期なのでか解りませんが

電気毛布が入っていました。

S1987136 これが街の写真。

基本的に日曜日は何処のお店も休みが多いのが特徴です。

アンザックなどの戦争記念日なんかゴーストタウンになっちゃうし

気を付けていないと食い物が無くなります。

Photo  

 

 

これが二日間で走った所をグーグルで見たもの。

この時の気持ちも覚えている

二日間走り終えて相当に体にがたが出てなんとか休みをとりたい

理屈を考えていて雨だったので2日休んだんです。

ベットの脇にも写っていますがキューピーのマヨネーズを買って

相当な量のセロリとキャベツを食べた思い出があります。

二日間もアッというまに過ぎてしまい結局また自転車をこぎ始めるのですが・・・

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09/07/2007

スキー場がオープン

1995年オーストラリア旅行TOP

MtBeautyのスキー場のオープンセレモニーが行われた。

S1995691 写真はどさん子君。

鼻の下を伸ばしてデレデレしてます。

でもスキー場がオープンしたと言うのに雪がありません。

でもそこはオージーで大丈夫、大丈夫すぐ降るからとかなりアバウトです。

それからおいら達はふもとにある小さな町で一軒家を借りて

一人の外人とオイラを入れて4人の日本人と暮らし始めるのでした。

しかし、結局のところ一番の目的だったスキー場の仕事は皆無で

毎日、ビリヤードをやったりカジノに行って散財したりの毎日。

そんな時、事件は起きた。

一緒に暮らしていた博多者の態度がある日を境に急変した。

どうもオイラを無視してる様子。

なんでか知らないまま1週間ほど過ぎた頃。

博多者が

「一緒に山登りに行こう」

と言う。

オイラもどうせやる事がないので快諾。

目の前の山に一度は登ってみたかったしね。

「いいよ」

って事で早速その日に山に登ることにした。

S1995761 これがその時の唯一の写真

博多者が写したオイラ。

トロッコの入り口がある所を見ると何かの鉱山の後だろう。

地下に吸い込まれるように線路は続く。

登山を終えた帰り道に迷い一番やっては行けない川沿いに道を下りはじめてしまった。

川を下ると言うのはなぜいけないか。

それは無理して下った後に滝などがあったら元にも戻れないから。

その言葉通り無理して難所を越えてオイラ達の目の前に立ちはだかったのは

両サイド絶壁のプール。

真冬だし泳ぐわけにもいかないし、まして引き返すにはかなり無理がある。

結局オイラが選んだ道は高さ20mはあろうかという壁を登ること。

絶壁に見えるが角度的には70度前後?

唯一の救いが足を掛ける所が要所要所にある事。

これは今でも思い出すが何しろこの時代にはフィルムカメラしかないので

写真を写してないのが残念だが仕方ない。

さてさて、オイラが先頭に立ち博多者のルートを細かく指示。

落石とオイラが落ちた時に博多者まで巻き添えには出来ないので

絶えずオイラの真下を歩かせないように気を付けて少しずつ登った。

どれほどの時間が経ったか覚えが無いがそのうち道に出た。

果たしてこの道がオイラ達の街に続くと言う保障は無いがホッとした。

さて、登りきった博多者はもう2度と山は登らんと豪語していた。

ついでに博多者の手にくっ付いていたヒルにも恐れをなしたようだ。

結局のところ無事に街にたどりつく事が出来たわけだが家に帰ると

博多者にとんでも無いことを言われた。

「HIROちゃん・・・俺ホントは山でHIROちゃんを殺そうと思ってたんだ。」

「えっ!?」

「でも、崖っぷちで色々助けてもらったから止めた。」

そんな事を言われたら穏やかでないので理由を聞いてみた。

・・・・。

なるほどそれはそんな気にもなるだろうなぁ。

だがちょっと待ってくれオイラが犯人なら仕方がないがオイラは違うぞ。

「うん、なんか今日山に登ったらそういう人間じゃないと思ったから話した。」

オイラも頭を整頓してみた。

Mtbeautyall 左の外人は一緒に住んでいないが

右の外人はデニスガンジャバックで

右からイチロー君でオイラ、どさん子・・・・

イチロー君はお金をそこそこ持つ心優しい男の子。

そしてどさん子は唯一スキー場のインストラクターとして仕事を得た一人で

性格は、かなり頑固だが犯罪的な人間には見えない。

ガンジャバックは外人だし・・・て事は犯人はオイラしかおらんはなぁ。

しばらく色々考えたが博多者がオイラを疑うのも仕方ない。

ただ犯人が特定出来ないので本当に困った。

事実はこうだ。

日本から博多者が持ってきたお金は殆ど底を付き始めていた。

が、彼には隠し財産があった。

それはオイラも知っていたが金額が幾らとか何処に隠してあるとかなんてのは知らない。

でもそのお金は母親のいない博多者の親父が何かあった時のためにと20万円の

日本円を封筒に入れてくれたらしい。

それが2回に渡り少しずつ抜かれちょっと記憶に無いが10万円ちょっと無くなったのだ。

そして住民を分析すると道産子とイチロー君は全体にその枠に入る人間ではない。

入るとしたらオイラかデニス。

でもデニスに日本円の意味が解らないだろうってのが博多者もオイラも思う所。

外部の犯行も考えたが、結局、夜みんなが揃った時に全てを告白した。

そしてオイラが切り出した。

「オイラしか博多者が隠し現金を持っているのを知らない。でも博多者が現金を

入れていたと言うトランクの中はオイラは一度も触れていない。」

なので指紋を採取して貰えばこの中に犯人がいないか解る筈。

なので早急に警察を呼びたいと申し出た。

すると・・・

デニスガンジャバックが

「警察を呼ぶのは止めてくれと」と言う。

もちろん英語で言ったのだが今のオイラにはその文章が思いあたらない。

理由を聞いてみると

スピード違反やら何やらで逮捕状が出ていると言い出した。

更に、「じゃその無くなったお金は俺が何とかするから警察を呼ぶのを止めてくれ」と

挙句に、払う代わりにトランクの中にみんなの指紋を付けろと言い出した。

もうこれでオイラの疑いが晴れた。

まさかデニスが犯人だったなんて。

もう少しで殺される所だった。

それからデニスの免許証を取り上げ現住所等すべて書きとめ借用書を書かせた。

翌日の朝起きるとデニスは家からいなくなっていた。

でも、この後、博多者は一人でシドニーのデニスの親元を訪れ借用書を見せ

親がデニスを呼びつけ現金回収に成功したそうだ。

ちなみにこの事を知ったのは日本に帰国してからの事だった。

S1995765博多者と2ショット。

デニスガンジャバックがMtBeautyを去った頃

スキー場も本格的なシーズンを迎えた。

S1995835 また、MtBeautyについては話したい事があるけど

12年前のこの日はオイラにとってちょっと特別な日なのでまた

思い出した様に語りたい。

さて・・・

何が特別な日なのかと申しますと・・・・

タスマニアで自転車を盗まれてから何ヶ月も経って色々あったが

オイラはその日を迎えた。

S1987116 これはメルボルンにあるクリーンズベリーヒル

オイラのブログの中で前にも紹介したけど

思い出深いユースホステル。

Mt Beauty からこうなるまでの経緯もまた他の時に少しずつ。

S1987117 横に写ってるのが博多者。

オイラは一足先に用事でシドニーに行っていて

ここに戻ってきたら偶然再開した訳。

なのでオイラの旅立ちにも立ち会ってもらった。

そうオイラはこの日からパースまで目指す旅に出る。

本当はタスマニアよりオーストラリアを一周する予定だったがあの自転車が

盗まれてから諦めていた旅を難所と言われるナラボー横断に変えた訳。

その時の日記にはこう書いてある。

(一日目)9月7日木曜日 晴れ

長い間、日記を書いていなかったが、また今日から書く事にした。

今から俺はメルボルンからパースまで自転車で行こうと思っている。

長い道だけど出来る所までがんばりたいと思う。

とりあえず今日は111km離れたバララットまでいく。

S1987123 オイラが街を離れて一番初めに見た

地平線。

 

S1987121  

 オウムの死体

 

S1987122 これもそう

オーストラリアの道端にはオウムが沢山いる。

 

大陸を横断している道路は直線で信号が無いのでみな100km以上出すので

この様な死体を本当に沢山見る。

これが到着時の日記。

S1987124 死ぬかと思うほど長かった。

水もないしどうしようかと思った。

明日の事を考えると今日は寝れそうにない。

でもがんばる。

宿 キャラバンパーク   8㌦                  距離  111km

                                 走行距離  111km

訳も解らずに走り出したらなんだか車専用道路見たいな道でサービスエリアくらい

あるのかと少しの水しか持っていかなかったら何にもなく死にそうな気になった。

しかも、初日から111kmも走ったから全身だるく、テントを立てて、インスタント

ラーメン二パックを流し込み日記を書き終えたら朝起きるまで記憶が無かった。

こんなあいまいに書いてあるがこの部分だけ鮮明に覚えている。

正直この日一日で止めようと思った事は書き記していなかった^^

ま、次回からは日にちを気にせず書くつもりですが、久しぶりに日記を見たら

今日が同じ日だったので。

 

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05/11/2007

Mt'Beauty

1995年オーストラリア旅行TOP

まずはMt'Beautyの座標です。

19957261 まさにオイラ住んでいた座標で裏は見てのとうりの牧場です。

前にUPした馬の写真はここで写しました。

小さな町ですのでグーグルで写真としてキチンと見れるようになるまでには

相当な年月が掛かるかもしれません。

近くに湖があり本当に小さいですがモールも存在します。

19956103 中央がオイラ。

写しているのは博多者って事だな

写ってないから・・・

左の外人はたまたま出会ってこの日だけ泊っていったOGで

右の外人は忘れもしないデニスガンジャバック。

左から2番目は前回も紹介した道産子でオイラを挟んだ隣がイチロー君。

ちょっと似ています。

到着した時にはキャンプ場で一週間暮らしました。

それよりは大人数で一軒家を借りればと借りた訳で此処での生活が

始まりました。

しかし、スーパーに行くにも3kmほどありスキー場までも10数キロあるし

実際スキー場に行っても仕事が無いどころかオープンしたての時

雪が無いのでガッカリしました。

スキー場には仕事があるって事だったのに。

それでも一軒家を借りてしまった以上後戻りは出来ない。

オイラの現金も底をついてきてるし、ここらが潮時。

今、ここで何とかしないとがフツフツと沸いてくるのでありました。

電話しても言いたいことは言えれるのだけど向こうの言葉が理解できない事が

多すぎて中々仕事が見つからない。

しばらくしてスーパーで偶然に日本語を発見。

て言ってもカップルなのだが此処はオーストラリア。

仲良くする要素を秘めている。

ってな訳で言葉を交わすとあっと言う間に仲間になりました。

彼の名前はノリで彼女はユキちゃん。

彼は車を持っていたので買い物など結構助けてもらいました。

そしていよいよスキー場がオープンするのでした。

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05/10/2007

ビリヤード

1995年オーストラリア旅行TOP

写真の整理も三分の一程度は終わった。

ネガだけではどんな写真か解かりかねる事がありますが

スキャンしてみると懐かしい写真もあります。

19957266 これは日本ではまず置いていない

ビリヤードの台です。

普通のビリヤードの台の三倍くらいはあるでしょうか。

これでやるゲームはスヌーカーってゲームをやるのですが普通の台では

玉数が多いのでこのゲームは出来ません。

探してみたら日本でも協会があるのですね。

1995615 この写真を見ると解かるのですが

これは普通より小さいビリヤード台ですが

ポケットの入り口のクッションが角がなく丸い事が解かると思います。

2076126821 日本の台には角があり角より内側にボールの

圧力がかかればポケットに入ります。

でもこの角が丸いと反射角に対して正確に

弾いてしまうので確実に直接触れない入れ方でないと玉が飛び出る可能性が

日本の比ではありません。

この台を使って8ボールというゲームをします。

ルールは1番から7番までをSMALLで9番から15番までがBICと分けます。

この先は場所によりルールは若干違います。

ブレイクショットで落としたほうを普通は選びます。

落ちなければ後者にその権利が譲られます。

そしてBICとSMALLが決まったら自分の玉を自由に落とすことが出来ます。

SMALLの人ですと一番から7番まで自由に落としていける訳です。

その時に相手の玉を落としたらペナルティーだとかはまた地方によりルールが違います。

ペナルティーをうけると相手は2回連続失敗するまで出来るとか色々なパターンが

存在しますので対戦前に必ず確認するのがオーストラリア流です。

そして持ち球全部を落とし終えると8番を落とす権利が与えられ

それを落として初めて勝利が確定します。

オーストラリアでは普通に何処のバーにでも置いてありお金を入れて

レバーを引くと玉がドコッと落ちてきます。

一度入った玉は次お金入れるまで出ませんので並べる時は注意が必要でうす。

白玉は当然ですが落ちてきます。

電気も使ってない台なのになぜ落ちてくるのかというと白玉だけ若干小さいので

レールから落ちるという訳です。

さてこのゲームに勝ちますとこの台をキープする事が出来ます。

なのでビリヤードをやりたい人は勝者にするために機械にお金を入れて

挑戦しなくてはなりません。

しかも大体ビールを賭けないかと言われます。

みな、ただ酒を飲みビリヤードを楽しむために酒場に来るといっても過言では

ありません。

どの酒場に行っても主みたいな仕切り屋が必ずいます。

いつかは勝てれるようにこちらもどんどん勝負しますしね。

なので酒好きでオーストラリアで暮らした人ならちょっとビリヤードに自信があるはず。

知り合いの人がいたら聞いてみてください。

オイラは相当な手だれです(゚ρ゚)

なんて・・・・

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03/02/2007

余談ですが・・・

1995年オーストラリア旅行TOP

この前の休みに新しいパソを買った。

店にあるパソはいいとしても家のパソはXPの出始めに組み立てた物だし

ネット環境も繋げていなかったので、家電メーカーのパソコンを買う時に

ついでにネットも申し込むと2万円引きってやつに挑戦した。

なんだか得した感がある。

ま、2年間は契約解除が出来ない仕組みであるのは携帯電話みたいな

仕組みで家電メーカーが利益を得るようにしてあるに間違いない。

ま、オイラはそれを糧としていないので関係は無いが・・・

で、ついでに今回はプリンターも買った。

年末に買ったプリンターの性能があまりにも良かったので同じのをチョイス。

流石に年賀状シーズンと比べると格安。

オイラは16000円で買ったはずだが今回は13800円だった。

で、これもついで感で前から欲しかったスキャナーも買った。

今まで使っていたスキャナーはフィルムスキャナーが無かったので

昔の写真を整理する事が出来ず、このカテゴリーである

1995年オーストラリア旅行

の話しを続けるにはどうしても欲しいアイテムだったので・・・

そして今回は椅子のパソコンデスクを止めて、前に使っていた床に

座るタイプのを押入れの置くから出している時に、ふと段ボールを開けてみると

Img_0811 ずっと探していたこれが出てきた。

まさにインターネットが普及していない時代だったので

これを片手にオーストラリアを旅したオイラにとってのバイブル。

もう無くなったと諦めていたのでとても嬉しかった。

日記があってもこの本がないとオイラが書いた日記なのに解読出来ない代物と

言っても過言ではありません。

これでまた、1995年オーストラリア旅行が続行出来そうです・・・

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12/09/2006

2ヶ月ぶりくらい・・・

1995年オーストラリア旅行TOP

カテゴリにこんなのあったかと忘れてしまうくらい久しぶりになってしまった。

理由は出来れば早いうちにフィルムスキャナーを買ってあの当時の写真を整理してから

出来るだけ沢山の写真をUPしながなんて考えていたから・・・

そのうち忘れてしまうまでに至ってしまったという訳。

話しを忘れたので前回に戻るはこちらから

さてさてクィーンズベリーYHAを後にしてメルボルンからM'tBeautyに

日本人四人で向かう。

そのメンバーをもう一度紹介すると道産子、博多者、イチロー君、オイラ。

Itiroukun 彼がイチロー君。

ちょっとマリナーズのイチローに似てるでしょ??

しかも変なのを見てる写真です。

Hakatamono そして彼が博多者。

これはオイラ達が借りた一軒家の裏庭に毎日来る馬との写真。

これについては次回に・・・

Dosanko そしてオイラと写っているのが道産子。

顔は関係ないけどこれでもスキーではスーパーインストラクターの

称号を持っている男だ。 

なんかオイラのこの写真って麻原と言われても仕方ないですね。

Hotham_1 Hothamのスキー場のパンフにも載った。

が他の外人がサングラスできめているにもかかわらず

素顔をさらけだすあたり彼にしてみればよほど顔に

自信があるようだ。

みんな道産子のスキー場には仕事があるぞに引き込まれた連中だ。

これから2ヶ月この街で暮らすことになる・・・

着いた場所は日本のそれとは違い町に雪は無く一同唖然とする。

が、よく訊けばスキー場は山の上にあるらしい。

オイラ達はとりあえずバスターミナルから適当にキャンプ場に電話して今夜はそこに

泊ることにした。

で、迎えに来てもらおうと電話をするがどうもキャンプ場は迎えに上がるのを

嫌がっている様子。

でも、荷物も多いのでと何とか迎えを頼む。

迎えに来てもらいバスターミナルを出発して拒んだ理由が解かった。

なんとそこはバスターミナルから300mほどしか離れていなかったのだった。

英語をオイラ達は理解できなかったから無理を言ってしまった。

それにしても日本人はなんとわがままだと思われたに違いない。

さておき、みなで相談した結果、このキャンプ場に一週間滞在して

その間にスキー場での仕事&住まいを見つけようと言うことになった。

翌朝からそれは始まったのだがまず手始めにこの街の繁華街に行くことにした。

道産子はすでにホームスティ先を見つけていたので今日からは別行動。

そしておいら達三人がキャンプ場を歩き出し数分した時、ふとオイラの頭を

過ぎったのがヒッチハイク。

これはこの先を考えても一度は経験しないといけないという訳で・・挑戦してみる。

しかしどの車も当たり前のように通り過ぎる。

理由は簡単でした。

よく考えたら男三人で車を止めても止まるはずが無い。

せめて二人だろうと言うことでじゃんけんで一人は隠れて二人でヒッチハイクを

してみる。

すると以外や以外一台目の車ですんなり乗せてくれた。

HAI!!I'd like to go to the next town.

するとOK No Problem とすんなり車は動き出した。

後部座席から後ろを振り返ると、取り残された博多物が寂しそうにこちらを見ていた。

が、それもつかの間なんと大きく曲がった先に繁華街はあった。

なんとなくなさけなくもありがとうと言って下車する。

イチロー君と顔を合わせ次の街ってスキー場じゃなかったのかなぁ??

と二人で苦笑い。

300mくらいの距離をもどり博多者と再合流。

とりあえずM't Beautyのモールで昼食をとり再検討。

やはりスキー場までヒッチハイクで行くしかない。

どうも距離的には15kmほどはあるようなので。

そしてジャンケンをしたらまた博多者が負けて今度は先に歩かせる事にした。

二人だと敬遠するか一人だと敬遠した人間でも乗せて行くことがあるかどうかを

検証するためだ。

博多者が出発後10分程度遅れてオイラとイチロー君は出発した。

すでに10分程度の間に何台もスキー場への一本道へと上がっていっているので

すでにスキー場への切符をてにしてるかもなんて会話しながらオイラ達も10分程度

歩き出してからヒッチを試みる。

数台目で簡単に車が止まった。

子供連れの奥さんだった。

スキー場まで行きたいのですがと言うとOKしてくれたので乗車。

車を走らせること数分。

彼女がNOと言いながら私はもう乗せてるから無理といって呟いているので

ふと前をみるとファックユーとも見えるべく親指を突きたてヒッチハイクの

ポーズをしていた博多者がいた。

なぜだか二人でシートの影に隠れてその場を通り過ぎてしまった。

途中でオイラ達を乗せてくれた奥さんの旦那さんが車を止めて木を切っていた。

オイラ達も流れでそれを手伝うことになった。

あらかた済んだ頃に旦那さんがハーブと言ってタバコをくれた。

吹かしてみるとそれは懐かしい味がする。

マリファナだった。

こんな子供も奥さんもいる前でいいのか?

と思ったがこれもまた流れるままに。

そしてお土産にと更にハーブを入れた入れ物を渡された。

ようやくスキー場に着くとそこは一面銀世界。

のはずだったがまったく無い。

オープンパーティーまでには積もるらしいが・・・

一番外の入り口で博多者を待つ。

結局オイラ達よりもずっとずっと遅れてから到着した。

すでに夕暮れも近くなり結局スキー場から降りてきて一旦停止している車に話しかけ

キャンプ場に戻り今日の就職活動が終わった。

で夜はなぜだか貰ったハーブでのマリファナパーティーになってしまったのでした。

もちろん今ではタバコも吸わないし酒気帯びもしないので今のオイラには

警察に御用になる事は何一つも無いことを追記しておきます。

さてさてあの時、再会を果せなかったレイチェルはといいますと・・・

今のオイラの嫁さんでありました。

となる訳はなく今では仲のいいメール友達です。

Img0015 最近オイラが催促してレイチェルから送られてきた

写真は10年前と比べ大人の女性になっておりました。

I can meet again with Rachel?

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10/18/2006

一週間も更新休み久しぶりのオーストラリア旅行続きです。

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チャップマンに着くとレイチェルがいるかもしれないので

♪((O(〃⌒∇⌒〃)O))♪ドキドキしているオイラ

とりあえずチェックインする間だけでも顔を会さずにやっておきたい。

そろりと覗き込みフロアを見渡す・・・

大丈夫のよう・・・⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃ ふふふ

とりあえず荷物を部屋に入れた。

ほとんどのバックパッカーはシェアルームで他所の国の人達と

使うわけなので貴重品は原則身の回りに確実に置いておかなければならない。

パッキングしていた荷物を開放ししばしの安堵感を味わう。

その間、ベットに横たわり日本を出発してからの事や初めて行った韓国、

そしてオーストラリアの大地に立ちタスマニアに渡り自転車を盗まれ

盗まれた事によりレイチェルと出会い・・・そしてこれからの事を考えた。

しばらくしてフロアに降り初めてレイチェルを探した。

宿泊名簿でレイチェルを探してもらう。

まぁ、今の時間に彼女が此処にいるかは別にどうでもいい事だったが

とりあえずの居る事を確認したかった。

多分、買い物かなぁ・・・それとも観光かなぁ・・・

まつこと数分・・・

フロントの女性がこういった。

そんな人は居ないと・・・

そんな馬鹿な事はない・・・もう一度確認してくれと促すと

宿泊名簿を手渡され自分で探せと言うので自分の目で確認した

が・・・確かに何処にもない。

名前のスペル、ファーストネームも確認しなおしもう返せと言われるまで探した。

でもやはりそこに彼女の名前は無かった・・・・

なんだか自転車が盗まれてそのおかげでレイチェルと出会い

その盗まれた自転車の保険の為に彼女とすれ違ってしまった。

そうなると此処に居る意味は無くなった。

次こそ本当に自分の進むべき道を見つけないと・・・

自転車が盗まれたから良い夢を見させてもらったんだと諦めた。

ただどうしてなんだろうと考えずにはいられなかったけど・・・

ふと考えたら宿泊名簿は今日のだ、だとすると先週までのレイチェルは・・・

もう一度訳を言ってフロントの人に聞いてみたら・・・

昨日まで修学旅行の予約で一般客は断ったとの事・・・それでか・・・

今日一日待って来なければ彼女は来ないだろう。

別れの時、もしかしたら予定を切り上げるかもしれないので

終わりしだいメルボルンに来てと言われていたが今考えると

一週間後の言葉のニュアンスさえ曖昧だった気もする・・・

ただこれでオイラと彼女の出会いは完全に終わってしまった事は実感出来た。

それでももしかしたら此処に来るかもしれないとも考えたが

翌日、オイラはクインベリーユースホステルに移り変わった。

3日ほどしてもしかしてフロントにメッセージがあるかもしれないと

出向いたら博多者と再会した。

彼との再会の約束さえも忘れてしまっていたオイラ・・・

ビジターブックにタスマニアで再会を約束したキョウコちゃんのオイラ宛の

メッセージを見つけた。

オイラに会うために此処に来たのにあなたは居ませんでしたと・・・ポツリと

今考えると彼女の日本の住所や苗字や名前すらオイラは知らなかった。

いや、必ず会えると言う自信からその時に住所を交換すればいいやと

安易な気持ちでいたし少々レイチェルの事で浮かれていたのもある。

もし、もう一度会う事が出来たならキチンとお詫びがしたいと思う。

でも考えると今までオイラが泊まる度に記してきたビジターブックは

今もきっとオーストラリアで誰かが見るのを待っているでしょう。

もしオーストラリアを旅する人でこれを偶然読んだならオイラの記した物を

見てくださいね。

もしこれから行かれるならオイラにメール下さいね・・・・

さてさて

131_5 これがその時にクィーンズベリーユースホステルに

泊っていた仲間。

後ろの幽霊見たいのが道産子、右端が博多モン、正面がイトケン、中央に

瑞穂ちゃんなどなど・・・

ここでは今までの事を吹っ切るかのように楽しんだ。

今後の事も考えると不安まるけなのだが、今、オイラは尻尾を丸めて

日本に帰る訳にはいかんのです。

世襲息子に二度目のチャンスは無いのです。

そそ、オイラの保険金ですが・・・・出ませんでした。

一円も出なかったです。

理由を聞いてみると海外は適用外との事でした。

それって、ハイそうですかって話しなのでしょうか?

その後も前にブログの内容に書きましたがいい加減そのものです。

義理とは言え、何とか彼と縁が切れないか思案しております。

でもこの時のオイラはそれすら怒る気力は失せていました。

それより道産子情報によるスキー場での仕事に向けただ前進するのみの

前向きの気持ちがクィーンズベリー最後の夜を道産子、博多者それを聞いていた

イチロー君そしてオイラ、そして写真に写っている友達、写っていない友達も

巻き込み一緒に作ったラーメンと餃子とビールで最後の夜を過ごしたのでした。

そしてオイラ達(道産子、博多者、イチロー君、オイラ)の四人は幽霊のように

写真に写る道産子の話に乗りスキー場へ仕事を求めたのでした。

合言葉は「スキー場には仕事があるぞ~」

だった気がするのだが・・・・・(゚ρ゚)

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09/21/2006

それから~

1995年オーストラリア旅行TOPへ

さてさて

レイチェルがトランジットバックパッカーに戻ってきてから

オイラは少し“o(* ̄o ̄)o”ウキウキ♪

でも、何時まで居るのか何にも解からない。

早く話をしたかったんだけどテレて隠れるσ( ̄。 ̄) オイラ

むぅ....

夕方、夜ご飯をいつもの様に飯ごうで炊いていると

レイチェルが来た。

しばらく他愛も無い話をしている。

何処に行っていたとかいつまでここに居るとか・・・・etc

そそ、レイチェルはベジタリアンなので動物性の物が食べれない。

いつもビーンズとお米をお粥のように作って食べている。

それにしてもご飯の作り方がアバウトなのでオイラが手ほどきを見せた。

女性にそれをするのは失礼だったなと後から思ったが

すでに遅し。

でも、仲良くご飯を食べその夜は遅くまで話した。

それからしばらく毎日デートした。

もうオイラは離れられない情態だった記憶がはっきりしている。

レイチェルはベジタリアンだからかお菓子が大好き。

特にチュッパチャプスみたいなロリポップをいつも食べてた。

そしてそのパッケージをノートに貼り付けて味についても詳しく書いていた。

それを見て子供だと言ったら、

ふくれて怒った。

昔、日本で付き合っていたカナダ人の彼女の家でクローゼットに何が入っているの

と、聞いたとき彼女はナイショと言って見せてくれなくて、どうしても見たかった

オイラは鶴の恩返しでは無いけれど開けてしまった。

そしてら洗濯物がダダ~ッと落ちてきてびびったがそれに気付いた彼女が

あわててプライベートだからと言ってふくれた時も似たような顔をしたのを

思い出した。

何処の国の女の子もふくれた顔は妙に可愛らしい。

そんな事もありイギリス人女性だからとか外人だからとかでは無く

普通に好きになってしまった。

それからしばらくしてレイチェルの弟がここに来た。

兄弟では一緒に行動しないけど要所要所で顔を合わせられる様に

旅をしているらしい。

この弟と二人でバーで酒を飲むことになった。

彼もさすがにレイチェルの弟らしくとても優しい男だった。

話を色々聞いてみると・・・

これからメルボルンに向かいそこから北上してケアンズでピッキングを

すると言っていた。

どうやらそれについてレイチェルもタスマニアを離れるらしい。

それを聞いたらオイラもここに来て2ヶ月が経つがいつまでもこれじゃなぁと

改めて考えた。

その夜、彼女からやはりメルボルンに行くと改めて聞いた。

どちらにしてもタスマニアを離れるとすると一度はメルボルンに戻らなければ

ならないのだけど、戻った所で行き場が無い。

そんな気持ちを察してくれたのかどうかわからないけど

レイチェルがオイラにこう言った。

私と二人で旅を続けないかと。

オイラは直ぐに返事したかったけど考えとくと言葉を濁した。

翌日も一緒に居た。

オイラの中でも、もう行くことは決めていたので夜に一緒に旅しようと言った。

出発を控えた金曜日の午後それは送られてきた。

拝啓~~~~~

~~~~~~~このたびは自転車が盗まれたとの事。~~~~~~

~~~~~~HERO様が日本を経たれる前に解約された傷害保険が

残念ながら私の不手際により継続されていました。

つきましては今回の盗難された自転車の購入金額全額をお支払いしますので

盗難証明書を警察署より発行してもらいご面倒ですが日本に送付してくださいとの事。

ええ~~~??

こんなかっこいい文面だったと思うが連れからの手紙。

多分、役に立てる自分をかっこよく見せるためにこんな手紙の書き方をしたんだと思う。

早速、警察署に出向くも5時までで終わりと言われ月曜日に改めて来いと言う。

しかし、明日出発しなくちゃならないし書類に不備があってまたここに戻って来る事は

不可能だし、レイチェルの予定を変更させる訳にもいかない。

結局、レイチェルと話し一週間後にメルボルンで待ち合わせをする事にした。

今の俺に10万円が戻ってくる事は今後においても非常に心強いし仕方が無かった。

翌日出発するレイチェルを見送りに出た。

一週間後に会える事は解かっているけど二人で抱き合ってKISSをした。

バスの中から彼女がオイラにカメラを向け写真を写したのを今でも憶えてるが。

その後、盗難証明書を発行してもらいトランジットバックパッカーを出発した。

ティムとテレサに本当に宿泊料金を取らないのかと聞いたが要らないと言われた。

計算してみると盗まれた自転車分の料金分位お世話になっていた。

さてさて名残惜しいが出発。

トランジットバックパッカーの名前どうりにこの階の下にバス乗り場がある。

(トランジットバックパッカーの上空写真&座標

ここからみんなが旅立ったようにオイラもデボンポートに向かった。

しかも前の約束どうりにあのタスマンハウス(この間までリンク出来たが今は

閉鎖?されているようなのでもしかしたら無くなったのかもしれないな)に

3日ほど泊まる事に。

ここでその後も長い友達になる博多者と出会い、その時連絡先を聞かなかったけど

メルボルンで再会する約束をしたキョウコちゃんに見送られスピリットオブタスマニア

メルボルンに向かった。

翌朝到着して早速レイチェルと約束したチャップマンYHA

(今は名前が変わったようだ)

Although this is the map and book which were got from Rachel,

do you remember it?

Even now, it is my treasure... Also future

Map  

 

これはレイチェルから貰ったオイラの地図。

彼女直筆でNO COOKと書いてある。

オイラの料理に感銘でも受けたのだろううか┫ ̄旦 ̄┣ フフッ

それは不明。

そしてこれは彼女が読んでいた本。

1_1 これは別れ際に貰った。

いまだに読んでない。

もしかしてこんな映画あったかなぁ・・・

でも大事にしまっておいた。

そして中を開けると

2_1 さらにNO COOK  と書いてあり

その下にSUPER HEROと書いてあります。

HIROなのにレイチェルはオイラの事をHEROと呼ぶようになり

それから外人には自己紹介でかならずHEROと呼んでと言うようになり

それがオイラの”一人きりのHERO”の語源にもなった訳です。

そしてオイラはレイチェルに再会するためにチャップマンYHAのドアを開ける・・・・

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09/08/2006

10年前の出発日を忘れていた。

1995年オーストラリア旅行TOPへ

余談・・最近遊びすぎで9月7日から自転車の旅に出た日に合わせて昔話の

ログを載せていこうかと思っていたのにすっかり忘れていた。

ちょっと日にちはズレてしまうのだけどオイラが自転車で再び出発するまでの事を

簡単にUPしたいと思います。

ただしこの部分の日記は無いので10年前の写真と記憶だけの色あせた物ですが・・・

自転車を盗まれてから~

なんだかこのトランジットバックパッカーでナマズの様になってしまい

ほとんど住人と化していた。

(グーグルでの航空写真が大きくなりましたので座標を住所からの入力で)

旅人を向かい入れて送り出すみたいな日々を過ごしていた頃だった。

131_4 世界中を旅していると言う大阪の日本人が来た。

通称”仁さん”

彼もビリヤードが大好きでオイラと二人で顔を合わすと勝負した。

もちろん勝った方がお金を払うのだがオイラの方が上手かったような記憶だけが

残るのだがどうだったろう・・・・・

さてさて、次の日に来た日本人はやはり大阪から来た”タクヤ”君だった。

彼はオイラが何かしゃべると包んで下さいよ~が口癖だった。

それから日本から来ていた女の子で”泉ちゃん”・・・・

その子に仁さんが妙に惚れたのをなんとなく覚えている。

 

そう言えばさっきすげーかっこいい外人がいましたよ・・・・とタクヤ

どんなやつと聞くと・・・・

ニュージーランド人で名前が”ラッキー”とか言ってましたよ・・・と

ああ、オイラが書いたバックパッカーのビジターブックを読んだなと悟った

オイラだった。

なのでタクヤを相手にしなかった。

夕方、オイラの名前をタクヤが呼ぶ・・・・

どうしたの?・・・ほらぁ彼が昼間話した”ラッキー”すよと・・・・

てっきりオイラをからかった話だと思っていたのに本物のラッキーが居た。

一ヶ月ぶり以上ではあったけどお互い忘れているはずも無くがっちり握手した。

”タスマンハウスでラッキーに逢いここで再開した⇒その時のブログを見る

それからもう一人紹介したい人は”レイチェル”です。

彼女はイギリス人の旅行者でベジタリアンです。

オイラが自転車を盗まれたと聞いて、お金目的なら新聞に出てる売ります買います

コーナーの所で売りに出すはずだからと新聞が出るたびに探してくれた。

それからしばらくしてだったが日本男児三人でレンタカーを借りてタスマニアを

周る事になった。

132_1 その時その面々で送り出してくれた写真

左からタクヤ、レイチェル、イズミ、ラッキー、陣さん

カメラマンはオイラ・・・・・

そして旅立ちさよならをした。

一日35㌦の一番安いバンを借りての旅行だった。

一番行きたかった”タスマニア物語”の舞台になったリッチモンドにも行った。

ここにはオーストラリアで一番古いと言われている橋があります。

クレイドルマウンテンやら色々行ったはずなのだが日記が無いのと

地名が英語なのですべて忘れている。

131_3 ああ、ワイングラスベイにも行ったなぁ。

写真があった。

写真奥に見えるのがワイングラスベイなんだけど名前の通りだね。

ポートアーサーにも行ったしウェリントン山も車で登った。

確かに楽しかったけど何しろ10年前だし、写真さえ未だに整理されておらず

この4日間だかの旅行の話はこれでおしまい。

そして陣さんはここからニュージーランドに旅立った。

最後にオイラが羽交い絞めにして泉ちゃんと陣さんをキスさせた事は忘れない。

ラッキーも旅立って居なかった。

タクヤも旅立った。

また誰も居なくなった。

が次の日、レイチェルが居た。

旅立ったと思っていたが弟とホバーとで待ち合わせをしているとの事で

戻ってきた。

実はオイラ、あの時彼女に親切にされて心がブルブルしていたのだ。

だけど旅行の出発もありこれでさよならは嫌だったけど仕方が無く

出発したのが本心だった。

ああ・・・・・・・・・・・つづく

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07/26/2006

更なる試練

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月23日

この日は晴れと日記には書いてあった。

今日の朝はゆっくりと起きた。

今日は買出しをして明日出発するからだ。

いつものように朝食を摂りタバコをふかす。

そろそろ買いだしに行こうと階段を下りて自転車置いてある場所に行く・・・

あれ?

ああ、誰かじゃまだったので自転車をどかしたのか・・・・・

う・・・・

だけどオイラはチェーンでロックさせたはず。

ホストに聞いても知らないって言うし・・・どうなってるんだろう・・・

しばらくするとホストがこのチェーンお前のかと聞く。

ああやっぱりどかしてくれたんだと安気で考えていると・・・

これ、外に落ちていたから自転車は多分盗まれたんだなと言われた。

それから警察を呼んだが盗まれたお前が悪いと言われ、保険でまた新品をと言われた。

でもそれは無理である。

だって保険には入らなかったから・・・

こうしてオイラのタスマニア自転車の旅は一歩も進むことなく日記とともに終わった。

ただ、このバックパッカーの一周年記念で夜は盛大に盛り上がった。

夫婦のティムとテレサがオイラこう言ってくれた。

君はこれから何時来ても宿泊費は要らないと。

夜は泣きながら寝た・・・・・

実は、オイラはこの後、この言葉に甘えた訳ではないのだけど

ここが妙に居心地がよくなり2ヶ月も此処に居ついてしまった。

9月7日の日の日記が再開するまでの記録はポツポツと写した写真のみで

文章的には何も残されていない。

また9月7日が来るまでの間少しずつ色々なオーストラリアの写真を紹介して

行きたいと思います。

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07/25/2006

ハワイ二日目~かな?

1995年オーストラリア旅行TOPへ

1995年4月20日

今日も自転車やさんでのんびりしていた。

店員さんに色々な事を聞きながら吟味する。

なんか話しているうちにどんどん贅沢な自転車を選ぼうとする自分がいる。

ちなみにシマノは全世界でもダントツNO1の自転車部品メーカーだ。

オイラなんて釣具もシマノをチョイスしている。

自転車で旅行する場合はキャリアを自転車に装着して

前輪に荷物、ハンドル部分にも荷物、後輪分にも荷物さらにその上にも荷物を

乗せられるようにしなければならない。

テントや水さらには寝袋、食料、衣類などなどを乗せなければならないから

大変である。

なんかもうすでに自転車を買う気満々の自分が居る。

1995年4月21日

オーストラリアに来て最大の試練に立たされた。

昨日の夜の事だ。

料理をしている時包丁で指を削ってしまった。

削げた肉がないので蓋をする事が出来ずに血が止まるまでかなりの時間が

掛かった。2時間くらいは止まらなかったのではないでしょうか。

よっぽど病院に行こうと思ったが夜だという事もあり我慢した。

そんなときに限り日本人も誰も居なく凄い寂しさを、初めて日本に哀愁を感じた。

気持ちとしてもうこのまま日本に帰りたいみたいな感情が沸いた。

だがその時初めて自分の中で今、自分でこれを乗り越えないと見たいな物が生まれた。

 1995年4月22日

昨日の気持ちを忘れないうちにではないがそれからの行動は自分で言うのもなんだが

はっきりしていた。

迷っていた自転車を買った。

日本に帰るときにはこれを持って帰るつもりで思い切って買った。

予定どうりのキャリアと空のバックを装着してもらいトランジットバックパッカーに戻る。

バックを置いて早速街中を走り回った。

オーストラリアでは自転車はヘルメット着用でないと道交法違反になるので

キチンとかぶるがオイラには似合わないのは確かだった。

夜はバックパッカーはピンナンバードアロックで宿泊者しか入れないので

自転車を中に入れ配管に新品のチェーンロックで繋いでおいた。

明日は食料の調達で明後日にはここを旅立つ事にした。

行き先さえ決まっていないが明日地図を買いタスマニアの風向きで

右回りか左回りか決めるつもりだ。

指を切ったおかげかどうか解らないが兎に角きっかけになった事は確かだ。

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07/24/2006

忘れられた日記の続き

1995年オーストラリア旅行TOP

1995年4月18日

昨日まで二日間、大阪から来ていた四人組がいたけど、みんなとても好い子達でした。

だから二日間とても楽しかった。やっぱり日本語はいいですね。

ただ、彼らは東海岸から来たみたいでマリファナを沢山持ってて隠れて吸っていた。

オーストラリアの法律では首都のキャンベラではマリファナを売っている。

でも、キャンベラ以外では法律に反するのでだめです。

でも、このとてつもなく広い大地で農園活動をしている農家達はかならず

自己栽培しています。

これをハーブなんて言って吸わしてもらった事もあります。

その時はハーブってなんだろうと思いましたが吸った瞬間に・・・・

ああ、マリファナの事かと・・・・

当然、彼らには罪の意識はありません。

オイラは、もうやってませんがマリファナを吸うと丁度お酒に酔いすぎたような

感じがしますが、お酒を呑みすぎた時に起きる気持ち悪さなどはないのでそれが

気分が好いわけです。

でも、心理状態の悪い時にマリファナなどの薬物を使用すると普段大人しい人でも

凄く怒りっぽくなったりもします。

変な話ですが例えばピーナッツの茶色の薄皮なんかも燃やすとマリファナと同じ香りが

しますし、鳥のえさのケシの実でも一袋買ってくるとたまに川がかぶったままのがあり

それを集めて吸えば同じでしょう。

今だから言えるのですが薬物はやらないに限ります。

さてさてマリファナ三昧の男女2*2の大阪人達が居なくなりまた寂しいバックパッカーに

逆戻りでした。

でもその方がオイラは勉強したり積極的に外国人と会話出来るのでその方が

いいのですが・・・・・

なんか日本人がいる所でオイラが英語話すとなんか悟られそうな気がして・・・・

1995年4月19日

今日から市内の自転車やさんを廻っています。

今のオイラにとって目的が無い事こそがこの国に来ている意味さえも見失うので

せめて自転車でオーストラリアを周ろうかなぁと・・・・逃げている訳です。

でもほんとにこのままではいけないので一応、自転車探しも真剣にやってますが。

しかし、そこそこの荷物が載せれて耐久性を考えると10万円前後でしょうか。

この金額を捻出するのであれば自転車主体の行動の仕方を考えなければ

なりません。

つまり移動は自転車みたいな感じですね。

どうなることやら・・・・・・

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